日本大百科全書(ニッポニカ) 「ライーヤトワーリー制度」の意味・わかりやすい解説
ライーヤトワーリー制度
らいーやとわーりーせいど
イギリスがその植民地インドで実施した地税徴収制度の一つ。イギリスがインドで最初に獲得した領土であるベンガル地方では、だれかを「地主」と決め、この「地主」との間に支払うべき地税額を決定するザミーンダーリー制度という徴税方法を実施した。しかし、19世紀に入るとザミーンダーリー制度には批判が強くなり、それにかわって、個々の農民1人1人と地税額の取り決めをするライーヤトワーリーRāiyatvārī制度が実施されるようになった。ライーヤトとは、もともとアラビア語で「ラクダの群れ」を意味したが、インドでは国家臣民、さらに限定すれば農民を意味するようになっていた。したがって、ライーヤトワーリー制度は個別農民制度とでも訳すことができる。
この制度が最初に導入されたのは、インド南部のマドラス州であり、1820年代には制度として確立された。1818年の第三次マラータ戦争で占領したボンベイ地方が独立のボンベイ州となると、ここにもライーヤトワーリー制度が導入された。ライーヤトワーリー制度では、個々の農民の所有地の面積、地味(ちみ)、位置などを細かく調査しなければならず、徴税に要する手間と費用が大きかった。そのため、1840年代には批判が強まり、その後に獲得した北インドの各地では、それにかわってマハールワーリー制という徴税方法が実施されるようになった。
[小谷汪之]