ラグビー(読み)らぐびー(英語表記)rugby

翻訳|Rugby

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ラグビー(フットボール)
らぐびー
rugby

正しくはラグビーフットボールrugby footballといい、楕円(だえん)形のボールを相手側インゴールに持ち込んで得点を競う球技。[畠山元彰・川島淳夫]

歴史

近代ラグビーは、イギリスにおいて12世紀ごろから民衆の間で行われていたフットボールにその発祥をみることができる。それはマス・フットボールあるいはストリート・フットボールとよばれるような、多数の人々が参加する大規模な民族競技として、祭日の行事として実施された。これに対して、国王や支配者は悪徳がはびこる、王国防衛の妨げとなるといった理由で、たび重なる禁止令を出している。やがてマス・フットボールは日常的に行われるフットボールへと変化していく。16~19世紀初めにかけては地域によってハーリング、ナッパン、キャンプ・ボールなどとよばれ、それぞれ共通点と相違点をもちながら、プレーされていた。19世紀のイギリスのパブリック・スクールでは、各学校が「校庭のフットボール」として、それぞれ特色のあるフットボールを行っていたが、1823年11月、その一つであるラグビー校において、エリス少年の劇的プレーがおこったといわれている。ラグビー校校庭のれんが塀にはめ込まれているメモリアルには、次のように刻まれている。「この碑石は、1823年、当時のフットボールのルールをみごとに無視し、初めてボールを腕に抱えて走り出し、ラグビーゲームの独特の形をつくりだしたウィリアム・ウェブ・エリスWilliam Webb Ellisの功績を記念するものである」。
 エリス少年のできごとが実際にあったか否かは必ずしも明確ではない。しかし、1830年代後半のラグビー校では、現在のラグビーのルールにつながる基礎的なルールでフットボールがプレーされ、1845年には初のルールブックが発行された。一方他のパブリック・スクールにおいても、独自のルールが考案されプレーされた。当初、それらのフットボールはそれぞれの校内のみで行われたためにルールを統一する必要性はなかったが、やがて対外試合を行うに至り、ルールを統一する試みが始まった。当時のフットボールは、キックを中心としたキッキングゲームと、ボールを持って走ることを認めるランニングゲームとに大別されるが、前者を支持するグループは1863年にフットボール・アソシエーション(イングランド・サッカー協会)を設立し、ルールの統一を図った。しかしこの試みは失敗し、1871年にラグビー・フットボール・ユニオン(イングランド・ラグビー協会)が設立されたことで、サッカーとラグビーは完全に袂(たもと)を分かつこととなった。
 1873年スコットランド、1879年アイルランド、1880年ウェールズにそれぞれラグビー協会が設立され、1887年にはプリンス・オブ・ウェールズ(後のエドワード7世)がイングランド・ラグビー協会総裁となり、ラグビーは急速に発展していった。また、イギリスの教師、兵士、外交官、ビジネスマンらの手によって、ラグビーはヨーロッパをはじめ、全世界に伝えられていった。
 1884年イングランド対スコットランドの試合でトラブルが生じ、これを解決するため、1886年にスコットランド、ウェールズ、アイルランドの協会の代表者からなるインターナショナル・ラグビーフットボール・ボード(IRFB)が結成され、1890年にイングランドが加わった。IRFBは1997年に国際ラグビーボード(IRB)、さらに2014年にワールドラグビーと改称され、2015年10月時点で、世界ラグビーの統括機関としてワールドラグビーには、世界の118か国・地域のラグビー協会が加盟している。
 1987年には第1回ラグビーワールドカップがニュージーランドとオーストラリアで開催され、これを契機に国際交流が盛んになり、国際試合の数も飛躍的に増大し、世界のラグビーは大きな発展を遂げつつある。[畠山元彰・川島淳夫]
ラグビー・リーグ
Rugby League Football 1880年代、イングランド北部のヨークシャー地方の工場労働者から、ラグビーの試合に出場することで失う給与の補償を求める訴えがなされた。ラグビー・フットボール・ユニオンは1893年、これを認めない裁定を下し、それを不服とした22のクラブが1895年に北部ラグビー・ユニオンを結成した。これが後にラグビー・リーグと改められ、13人制のプロフェッショナル・ラグビーを発展させていった。ラグビー・リーグはウェールズ南西部、オーストラリア、ニュージーランド、フランスなどに根強いファンをもっており、国際交流も行われている。[畠山元彰・川島淳夫]

日本のラグビー

1899年(明治32)慶応義塾大学に赴任していたクラークEdward Bramwell Clarke(1874―1934)とケンブリッジ大学を卒業して帰国した田中銀之助(1873―1935)により、慶応の学生に対し初めてラグビーの指導が行われた。1910年、京都の第三高等学校にラグビー部が誕生、翌1911年慶応対三高の試合が行われ、同年同志社大学にもラグビー部が誕生し、この3校による定期戦が日本ラグビーの草分けとなった。大正時代に入り、関東では早稲田大学、東京帝国大学、明治大学、東京商科大学、立教大学、法政大学、東京高等師範、中央大学、北海道帝国大学など、関西では京都帝国大学、大阪高等商業学校、大阪高等学校、関西大学、関西(かんせい)学院などが次々にラグビー部を設立。中学(旧制)の部やクラブもしだいに増え、1924年(大正13)関東ラグビー蹴球(しゅうきゅう)協会(現、関東ラグビーフットボール協会)、1925年西部ラグビー蹴球協会(現、関西ラグビーフットボール協会)、1926年に日本ラグビー蹴球協会(現、日本ラグビーフットボール協会)が設立された。第二次世界大戦後、西部ラグビー蹴球協会から九州ラグビー蹴球協会(現、九州ラグビーフットボール協会)が独立し、三地域協会体制が整った。
 関東、関西、九州の三地域対抗、東西大学対抗、全国中学校大会などが発展の大きな刺激となり、全国大学選手権大会、全国社会人大会、全国地区対抗大学大会、日本選手権大会のほか、各種大会や全国高校大会が行われ、1965年(昭和40)東京で発足したラグビースクールは全国に広がり、少年ラグビーも定着した。なお、2003年(平成15)9月より、これまで各地域の試合を経て進出した上位チームにより行われてきた全国社会人大会は、社会人12チームで構成される「トップリーグ」に変わった。チーム数は2006~2007年シーズンから14チームに、2013~2014年シーズンから16チームに拡大された。また、各地域で行われる社会人大会の上位チームは入替戦に勝利すればトップリーグに昇格できる。
 国際試合は、1925年(大正14)慶応大の上海(シャンハイ)遠征を契機に、1927年(昭和2)早大のオーストラリア遠征、明大の上海遠征、1930年全日本のカナダ遠征が行われた。1934年にはオーストラリア学生選抜、1936年にはニュージーランド学生選抜の両チームを迎えて、日本のラグビーは黄金時代に入った。
 第二次世界大戦後はイギリスの名門オックスフォード、ケンブリッジ両大学に続き、ニュージーランドのオール・ブラックス、カナダ、フランスの代表チームを迎え、日本代表もカナダ、ニュージーランド、オーストラリアに遠征、1968年(昭和43)に第1回アジア大会、1969年に日本・カナダ・ニュージーランド3国対抗がそれぞれ日本で行われた。1971年にはイングランド代表の来日があり、1973年日本代表は待望の英・仏遠征、1974年再度ニュージーランド、1975年オーストラリアに遠征した。また1975年には、当時世界最強といわれたウェールズ代表を迎えた。
 1976年には日本代表のカナダ、イングランド、スコットランド、ウェールズ、イタリア遠征、また高校日本代表が1977年オーストラリア、1979年イングランド、1980年ニュージーランドに遠征した。1976年以後、毎年のように日本を訪れる世界の強豪チームに刺激され、高校、大学、社会人、クラブの総合的レベルアップと地方の地道な底辺拡大の努力と相まって、ラグビーの魅力は年々高まり、発展の一途をたどった。また日本代表は1989年に来日した強豪スコットランド代表を破る大金星を上げ、1987年から開催されているワールドカップにも、連続出場している(2015年時点)。[畠山元彰・川島淳夫]

競技方法

1チーム15人からなるプレーヤーによって競技が行われる。試合開始に先だって両チームのキャプテンが、キックオフかサイドをとるかを決めるトスを行う。1人のレフェリーと2人のタッチジャッジがおり、試合はキックオフによって始められる。プレーヤーはオンサイドにある限り、競技規則の範囲内で、以下のことができる。
(1)ボールをとり、拾い上げ、またはボールを持って走る。
(2)ボールを他のプレーヤーにパスし、投げ、またはノックする。
(3)けるか、または他の方法でボールを推し進める。
(4)ボールを持った相手側のプレーヤーをタックルし、押すか、または肩で押す。
(5)ボールに倒れ込む。
(6)スクラム、ラック、モールまたはラインアウトに参加する。
(7)インゴールのボールをグラウンディングする。
 反則を犯した場合、ボールが相手側に与えられ、軽い反則の場合(ノックオン、スローフォワードなど)はスクラムから、重い反則(スクラム、ラインアウト、タックルなどの際の不正な行為)の場合はペナルティキックにより試合が再開される。ボールがタッチラインの外に出た場合は、ラインアウトによりゲームが再開される。試合の興味は、反則によるプレーの中断がなく、連続した鮮やかなパスワークによるオープン攻撃と勇気あるタックルに集約される。
 ハーフタイムで10分以内の休憩ののち、試合は再開され、あらかじめ決められた前後半同じ競技時間(大学生、社会人は通常40分)の間、ノーサイドまでゲームを続け、特別な大会を除き同点でもゲームは延長しない。ただし、インジュリータイム(負傷者が出て競技が中断された時間)、プレーヤーの入替えによって生じた遅れ、ゴールキックの遅れのために失われた時間は延長する。[畠山元彰・川島淳夫]
得点
相手側インゴールにボールをつけると「トライ」になり5点、トライ後プレースキックまたはドロップキックにより、ボールがゴールポストの間でクロスバーを越えると「ゴール」になり2点加算されて7点、ペナルティキックによるゴールは3点、上記以外のドロップキックによるゴールは3点となる。[畠山元彰・川島淳夫]
交替および入替え
試合は双方15人以内のプレーヤーによって行われ、出血時の一時的な交替、負傷による交替、戦術的な入替えが認められている。交替および入替え選手の数は、双方が国の代表で行われる試合においては7人以内、その他の試合ではその試合を管轄する協会が決定する。[畠山元彰・川島淳夫]
反則
反則には軽いものと重いものとがある。前者では普通スクラムが課せられて、反則を犯さなかった側にボールの投入権が与えられる。後者ではおもにペナルティキックが与えられる。
 スクラムが課せられるおもな場合は、(1)ノックオンまたはスローフォワードがあったとき、(2)ボールまたはボールの保持者が偶然オフサイド・プレーヤーに触れたとき、(3)キックオフ、ドロップアウトで、キッカー側のプレーヤーにオフサイドがあったとき、(4)フリーキック、ペナルティキックの際にキッカー側の反則があったとき、(5)味方のゴールラインを越えてボールを後方にヒール、キック、パスあるいはキャリーバックして、そのボールをデッドにしたとき、(6)インゴールでノックオン、スローフォワードがあったとき、インゴールで捕らえられたとき、などである。
 ペナルティキックが課せられるおもな場合は次のとおりである。
〔1〕スクラムにおいて (1)距離を置いて突進して進むとき、(2)不当にスクラムを崩したり、スクラム内で膝(ひざ)を地面につけたとき、(3)ボールが正当に入るのを妨げたとき、(4)正しくバインドしないとき、(5)プッシュオーバーのときを除き、スクラム内のボールに手を触れたとき。
〔2〕ラインアウトにおいて (1)ボールを5メートル投げ入れるのを故意に妨げたとき、(2)ラインアウトに並んでいるプレーヤーが、ボールがプレーヤーか地面に触れる前にラインオブタッチより前に片足でも出したとき、(3)ラインアウトに並んでいないプレーヤーが、スローイン前にラインアウトのオフサイドラインの前に出たり、とどまったとき。
〔3〕タックルにおいて (1)不法なタックルをしたとき、(2)倒されたときに、(a)ボールを離さない場合、(b)ボールに覆いかぶさって起き上がらない場合、(c)タックルされたプレーヤーの正しいプレーを妨げた場合。
〔4〕オフサイドの反則 (1)相手側からラックやモールに入ったとき、(2)ボールがスクラム、ラック、モールにあるとき、それに参加していないプレーヤーが片足でもオフサイドラインの前に出たとき、(3)オフサイド・プレーヤーが相手側プレーヤーの10メートルサークル内に入るか、とどまってプレーしたとき。
〔5〕不正なチャージ、妨害(インターフェア)、不正なプレーや不行跡のあったとき、などである。
 なお、ラグビーのルールを特色づけているものにアドバンテージ・ルールadvantage ruleがある。ゲーム中、反則があっても、反則をされた側がアドバンテージ(利益)を得たときには、レフェリーは試合を継続させる権限がある。この利益は地域的利益か、または明らかな戦術的利益となるボールの支配であり、単に利益を得る機会があっただけでは不十分とされる。アドバンテージ・ルールの適用が、レフェリング(審判)のむずかしさと妙味であり、試合の興味を倍加させる。[畠山元彰・川島淳夫]

施設と用具


(1)競技場 縦144メートル以内、横70メートル以内の長方形とし、縦をハーフウェイライン、10メートルライン、22メートルライン、ゴールライン、デッドボールライン、横を5メートルライン、15メートルライン、タッチラインで区画する。ゴールポストはゴールラインの中央に5.6メートルの間隔をおいて、高さ3.4メートル以上の棒柱を2本立て、地面から3メートルのところにクロスバーを渡す。
(2)用具 ボールは4枚張りの楕円形で、長さ280~300ミリメートル、縦の周囲760~790ミリメートル、横の周囲580~620ミリメートル、重さ400~440グラムであるが、中学生以下用にかぎり縮めてもよい。
(3)服装 ジャージ、パンツ、肌着類、ソックス、靴を着用する。靴のスタッド(びょう)は、協会が承認したゴム、アルミニウムまたは合成樹脂のもので、寸法は高さ18ミリメートル以下、付け根直径13ミリメートル以上、先端直径10ミリメートル以上、一体型ワッシャー直径20ミリメートル以上となっている。なおプレーヤーはバックル、指輪などの危険な突起物はいっさい身に着けてはならない。ただし、サポーター、肩当て、ヘッドキャップ等の補助具は、インターナショナル・ラグビーフットボール・ボードによって認められたものに限って着用が認められる。[畠山元彰・川島淳夫]

ルール変更

日本ラグビーフットボール協会が定める2007~2008競技規定以降は、ボールの縦の周囲が740~770ミリメートル、重さが410~460グラムとなっている。[編集部]

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