翻訳|latifundium
古代ローマの大土地所有。ローマ共和政初期には,市民間の土地所有における格差は,それほど大きなものではなかった。しかし,征服活動によって広大な公有地(アゲル・プブリクス)が生じると,貴族や上層平民はこれを占有することによって,実質的に広大な土地を集積することになった。一方,下層の平民の多くは,兵士として長期にわたって外地での戦争にかり出されたので,農地経営の基盤を失って土地を手放した。上層市民は,これらの土地をも集積し,さらには力の弱い隣人をその土地から追い出すことによって,自分の所領を拡大した。征服戦争の過程で上層市民の手に流れこんだ利得が,この大土地所有の形成の資本となった。また,同じく征服戦争の結果大量に生じた捕虜奴隷が,大土地経営の労働力として使用された。こうして土地問題は,ローマ社会において最大の重要性を帯びた問題となった。すでに前367年のリキニウス=セクスティウス法によって,公有地の占有は最大限約125haまでとされていたが,この規定は有名無実化した。前133,前123年にそれぞれ護民官に就任したグラックス兄弟は,公有地占有の制限を復活させて中小農民の再建をはかろうとしたが,大土地所有者の一派によって倒され,結局この運動は失敗した。その後は大土地所有の拡大に対する歯止めはなくなった。これらの大所領では,奴隷が集団的に働かされ,特にオリーブやブドウなどの商品作物を効率的に栽培することがはかられた。
帝政期に入っても大土地所有の拡大は続いたが,安定した社会という条件下では,売買・相続・遺贈といった手段が主流を占め,集中的大所領の実現は必ずしも速やかには進まなかったと思われる。経営の面からみても,所領全体が一つのまとまったものとして経営されたのではなく,大所領といっても,奴隷労働による直営地と多数の小作地,さらには牧地や森林からなる複合体であった。このうち奴隷制経営は,征服戦争が終わって捕虜奴隷が減少し,奴隷労働力の獲得に要する費用が増大したこと,商品作物の市場事情の悪化,奴隷の集団的使用に適正な規模を超えた所領の拡大,などの諸要因によって次第に重要性を失い,それに代わって小作制が優位を占めるようになった。この変化と並行して,本来自由人である小作人(コロヌス)は,次第に所領主に従属するようになった。3世紀のローマ帝国の全般的危機の中で,大土地所有は,エピボレーや永小作権の獲得,さらには暴力的な横領などを通じてさらに拡大し,同時に大所領は,政治的にも経済的にも都市からの独立性を強めた。帝政末期には,元老院議員階層をはじめとする所領主は,自分の所領に関して一種の独自の支配権をもつにいたった。キリスト教会も,寄進などを通じて大土地所有者の仲間入りをした。
執筆者:坂口 明
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古代ローマの大土地所有。共和政期のローマは、征服した土地の多くを公有地とし、これを耕作できる者に低い賃貸料で貸し与えた。これらの土地を富裕な人々が手に入れ、ローマ市民相互間の土地所有の格差が拡大し、さまざまな社会問題を引き起こした。紀元前367年のリキニウス‐セクスティウス法は、この公有地の占有を約125ヘクタールまでと制限したが、この規定もしだいに無視されるようになった。とくにローマの征服がイタリア外の地中海世界全体にまで及ぶと、将軍や総督として、あるいは商人や徴税請負人として、新たな支配地で莫大(ばくだい)な富を手に入れた富裕者たちが、これらの土地で広大な公有地を占有した。一方イタリアの自営農民の多くは、兵士として長期間出征したことによって農地経営を続ける基盤を失い、土地を手放して都市に流入した。富裕者たちはこれらの土地をも手に収め、さらには暴力的な手段をも用いて広大な所領を形成し、征服戦争で手に入れた捕虜奴隷を使って大規模な経営を行った。前2世紀後半のグラックス兄弟の改革は、このような大土地所有の拡大を抑え中小の農民を再建しようとするものであったが、彼らが倒されて改革が失敗に帰したのちは、土地集中に対する歯止めがなくなり、前111年の農地法によって、占有されていた土地は、一定の制限付きとはいえ、私有地と認められるに至った。
帝政期に入ると、土地集中の方法は、少なくともイタリアでは、売買・贈与・相続といった偶然的なものが主流を占めるようになったが、大土地所有者たちは機会あるごとに近隣の土地を手に入れ、集中的な大所領を形成していった。しかしその経営方法は、全体を奴隷集団によって耕すのではなく、分割して小作人(コロヌス)にゆだねる方向に進んだ。帝政後期になると、これらの大所領は都市や市場に依存しない自給自足的なものになり、政治的にみても、所領主が内部の働き手たちに対して権力を行使する、独立度の強いものになっていった。
[坂口 明]
『村川堅太郎著『羅馬大土地所有制』(1949・日本評論社)』
「広大な土地」を意味するラテン語。古代ローマにおける大土地所有制。ローマは領土的発展に伴い,占領地を国有地とし,資力ある者の入植と開発にゆだねたが,初めは彼らの占有地であったものがしだいに私有化され,これが大土地所有制発展のもととなった。イタリアではこれらの土地で,奴隷制による果樹栽培が発達し,史上未曾有の奴隷制大農場経営が行われたが,地主から遠隔にある穀畑では小作制が多くとられた。また属州,特に北アフリカでは総請作制と再小作制とが結合された。帝政期に入っても大土地所有の拡大は進行したが,そのころから奴隷制はしだいに後退し,小作制が優勢となった。アフリカの皇帝領では小作人の隷属性が強く,のちのコロナトゥスの先駆ともみられている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…〈シュラフタ民主制demokracja szlachecka〉の始まりである。 法的にシュラフタは全員が平等ということになっていたが,一方で〈ラティフンディウム〉と呼ばれた広大な領地(白ロシア,ウクライナに多い)をもつマグナート(大貴族)と呼ばれるシュラフタもいれば,他方で自ら農作業に従事し農民となんら変わるところのなかったシュラフタや,まったく農地をもたないシュラフタ(小シュラフタ。シュラフタが総人口の8~10%も占めるほど多かった原因は,この小シュラフタの多さにある)など,経済的にその内実はさまざまであった。…
…前111年の土地法では,占有地の私有地化が大幅に認められた。ここに至ってローマの土地制度は根本的に変化し,大土地所有ラティフンディウムの無制限な拡大をみることになるのである。しかし,小農民は完全に姿を消したわけではなく,また数百ユゲラの広さをもつ中規模の所領が,農業構造全体のなかで重要な役割を演じていた。…
※「ラティフンディウム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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