ラムス(英語表記)Petrus Ramus

改訂新版 世界大百科事典 「ラムス」の意味・わかりやすい解説

ラムス
Petrus Ramus
生没年:1515-72

フランス・ルネサンスの哲学者,人文学者。フランス名ラ・ラメPierre de La Ramée。当時の大学を支配したスコラ的アリストテレス解釈に飽き足らず,真理を求める柔軟で自由な思考・判断の手本プラトンに見いだす。1536年苦学して学んだパリ大学文学士資格試験に〈アリストテレスの言説はすべてこれ虚妄にほかならず〉という挑発的提題を掲げ,反論をすべて論破して二,三の学寮の教壇に立った。1543年相次いで発表した《論理学要綱》と《アリストテレス批判》,とくに後者はアリストテレスを詭弁家ときめつけ,真理探求に絶対の権威はありえないことを雄弁に論じている。学界の権威に対するこの挑戦のために,彼は一時教壇を追われたが,支持者もまた少なからず,51年王立教授団(コレージュ・ド・フランスの前身)の一員に任じられて哲学と修辞学を講じ,アベラール以来といわれる多数の聴講者を引きつけた。彼の主張の根底にあるものは,哲学と修辞学,換言すれば真と美との合一というエラスムス以来の人文主義的理想であり,枯渇沈滞した講壇哲学に対する痛烈な批判であった。フランス語で書かれた最初哲学書として知られる代表作《論理学》(1555)は,デカルト以前の〈方法叙説〉といわれ,その学説はとくにプロテスタント系諸国に広まって〈ラムス学派〉を形成する。ほかに革新的な《フランス文法》(1562)や古代ギリシア語・ラテン語文法,数学や歴史などに関する多数の著書がある。サン・バルテルミの虐殺で没。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラムス」の意味・わかりやすい解説

ラムス
Ramus, Petrus

[生]1515. ピカルディ,キュ
[没]1572.8.26. パリ
フランスの人文主義者,論理学者。フランス名 Pierre de La Ramée。アリストテレスとその伝統的解釈に反対したためパリ大学での講義を禁止された。彼は探求の方法としてではなく,キケロの修辞学を取り入れた論争術としての弁証法的論理学をつくりあげた。そして論争術の方法を,普遍から順次個におりていく自然的方法 (知識人向き) と,弁論術や詩学から例示された技巧による大衆向きの方法に2分した。彼の後継者はラムス派と呼ばれた。 1561年頃新教に改宗したが,学界およびカトリック教会の迫害から逃れることはできず,サン=バルテルミの虐殺で殺された。主著『弁証論的分割法』 Dialecticae partitiones (1543) ,『弁証法』 Dialectique (1555) 。

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百科事典マイペディア 「ラムス」の意味・わかりやすい解説

ラムス

フランスのプロテスタント哲学者,人文学者。フランス名ピエール・ド・ラ・ラメー。王立教授団(コレージュ・ド・フランスの前身)の修辞学・哲学教授。急進的なアリストテレス主義批判と,全知識の形式化・単純化を図る論理学は,のちのデカルト学派,百科全書派に大きな影響を与え,ラムス主義(ラミズム)として北ヨーロッパ,北米ニューイングランドで盛行した。主著《論理学》(1555年),《フランス語文法》(1562年)。サン・バルテルミの虐殺で没。
→関連項目ビーベス

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラムス」の意味・わかりやすい解説

ラムス
らむす
Petrus Ramus
(1515―1572)

フランスの人文学者(ユマニスト)、哲学者。本名ピエール・ド・ラ・ラメPierre de La Ramée。アリストテレス‐スコラ論理学の人為的性格を激しく批判し、真の論理学は人間の自然で自発的な思考と推理とを支配する諸規則の定式化、つまり「自然論理学」でなければならないとし、これを文法すなわち「言論の術」ars loquendiおよび修辞学すなわち「話の術」ars discendiから区別して、「議論の術」ars desserendiとよんだ。1551年王立学院(後のコレージュ・ド・フランス)の教授となり、哲学と修辞学を講じたが、1561年改革派(プロテスタント)に改宗したためにその席を失い、1572年サン・バルテルミーの虐殺のときに暗殺された。

[坂井昭宏 2015年6月17日]

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世界大百科事典(旧版)内のラムスの言及

【人文主義法学】より

…そのさい,歴史学的,一部はテキスト批判的な分析が導入されているが,さらには一般的諸原理の抽出およびその体系化もみてとれる(どの解釈手段に重きを置くかは個々の法学者によってかなり異なる)。P.ラムスのような新しい論理学的研究を利用しながら,ローマ法大全の法素材を体系的に再編成しようとした試み(とりわけドノー)は,後代の法の体系化作業に大きな影響を与えた。〈より良いテキストのより良い解釈〉を綱領として掲げたこの人文主義法学が,実際にどこまで法の革新,具体的な法命題の内容変更をもたらしえたのか,逆にいえば,中世法学の成果が人文主義の激烈な攻撃にもかかわらずどこまで保持されていたのかは,今後検討されなければならない問題である。…

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