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ラング ラング Lang, Andrew

16件 の用語解説(ラングの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ラング
ラング
Lang, Andrew

[生]1844.3.31. セルカーク
[没]1912.7.20. バンチョリー
イギリスの古典学者,民俗学者,詩人,小説家。スコットランド出身。セントアンドルーズオックスフォード両大学で学び,オックスフォードで教えたのち,1875年にロンドンに定住し『デーリー・ニューズ』紙その他に寄稿。

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ラング
ラング
Lang, Fritz

[生]1890.12.5. オーストリアハンガリー帝国,ウィーン
[没]1976.8.2. アメリカ合衆国カリフォルニアロサンゼルス
ドイツ映画監督。1919年に脚本家から監督となる。神秘的雰囲気の作品『死滅の谷』 Der müde Tod (1921) で名をあげ,以後『ドクトル・マブゼ』Dr. Mabuse,der Spieler (1922) ,『ニーベルンゲン』Die Nibelungen (1924) ,『メトロポリス』Metropolis (1926) ,『M』 (1931) と秀作を発表,ドイツ映画界を代表する一人となったが,1933年にフランスへ亡命。

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ラング
ラング
Lang, (Alexander) Matheson

[生]1879.5.15. モントリオール
[没]1948.4.11. 西インド諸島ブリッジタウン
イギリスの俳優。 1897年デビュー。 F.R.ベンソンの劇団その他に加わってアメリカなどを巡業していたが,1900年ロンドンに現れ,ベドレンバーカー時代のロイヤル・コート劇場で G.B.ショーや H.イプセンの作品に出演。

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ラング
ラング
Lang, Pearl

[生]1921.5.29. イリノイシカゴ
[没]2009.2.24. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の舞踊家。1942年から 10年間にわたってマーサグラハム舞踊団のソリストとして活躍し,『心の洞穴』『世界への手紙』などに主演した。1952年自身の舞踊団を組織し,『デボラの歌』『夜の飛行』などを発表,その間グラハム舞踊団の客演を務め,またブロードウェーミュージカルにも出演した。

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ラング
ラング
Lange, Dorothea

[生]1895.5.26. ニュージャージーホーボーケン
[没]1965.10.13. サンフランシスコ
アメリカの女性記録写真家。 20歳のときサンフランシスコに移って写真館を開き,大恐慌下の失業者の悲惨な実態の記録『白い天使のパンの行列』 (1932) を発表。 1934年カリフォルニアの移住労働者の貧しい生活の記録を依頼され,これが官立キャンプ設立のキャンペーンに発展した。

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ラング
ラング
langue

ソシュールの用語。彼は複雑で混質的なランガージュ (言語活動) を,ラングパロールに識別し,ラングを本質的,等質的,社会的な言語体系として規定した。たとえば日本人日本語を用いて意志の伝達が可能なのは,成員すべてに等質で共通な日本語の規則が了解されているからであるとする見方である。

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デジタル大辞泉の解説

ラング(〈フランス〉langue)

言語学者ソシュールの用語。「言語」と訳される。同一言語を用いる個々人の言語活動を支え、社会制度・規則の体系としての言語。→ランガージュパロール

ラング(Fritz Lang)

[1890~1976]ドイツの映画監督。「ドクトルマブゼ」「メトロポリス」などのヒット作を手がけ、ドイツを代表する映画監督となる。のち、ナチスから逃れて米国へ亡命し、ハリウッドで活躍。他の監督作に「死刑執行人もまた死す」など。

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百科事典マイペディアの解説

ラング

スコットランド出身の文筆家。ギリシアローマ古典,特にホメロスを研究。未開民族の神話的存在を古典神話の神々と比較考察し,F.M.ミュラーの学説に疑問を呈した。著書《神話・儀礼・宗教》など。

ラング

ドイツおよび米国の映画監督。ウィーン生れ。《ドクトル・マブゼ》(1922年),《メトロポリス》(1926年),《M》(1931年)などにより,表現主義映画を代表する監督となる。
→関連項目ムルナウ

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岩石学辞典の解説

ラング

ノルムから計算した任意の鉱物の比率を基礎にしたCIPW分類法の分け方の一つで,クラスI, II, IIIはサリックのK2Oと(Na2O+CaO)の比率を基礎とし,クラスIV,Vは(MgO, FeO, CaO)と(K2O, Na2O)の比率を基礎にしたものである.

出典|朝倉書店
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世界大百科事典 第2版の解説

ラング【Andrew Lang】

1844‐1912
イギリス(スコットランド)の文筆家,文学者で,児童読物,昔話集,文芸批評,詩,随筆,スコットランド史などについて多くの著作があるが,ことに神話研究の先駆者として知られる。《習慣と神話》(1884)や《神話,儀礼,宗教》(1887)において,当時さかんだったF.M.ミュラー提唱の,すべての神話を太陽神話とし,かつ神話が言語の疾病から発生したという説を痛烈に批判し,神話は原始的な文化段階において,慣習を反映して発生したと論じた。

ラング【Dorothea Lange】

1895‐1965
アメリカの女性写真家。ニュージャージー州ホボケンに生まれた。フォト・セセッションの創立メンバーの一人であるC.H.ホワイト(1871‐1925)の下で写真を学んだ。のちにサンフランシスコでスタジオを開き,E.ウェストンA.アダムズらの〈f64グループGroup f64〉の写真家たちと親交を結ぶ。1935年からFSA(農地保全管理局)のスタッフ写真家となり,大恐慌で荒廃した農村地帯(特に移住労働者)のすぐれたドキュメントを撮った。

ラング【Fritz Lang】

1890‐1976
ドイツおよびアメリカの映画監督。戦前のドイツの〈表現主義映画〉の代表的監督として,また戦後のハリウッドスリラー映画の名匠として知られる。ウィーン生れ。建築と美術を学び,第1次世界大戦で負傷して入院中に書いた脚本がヨーエ・マイJoe May監督(1880‐1954)によって映画化されたのち,プロデューサーのエーリヒ・ポマーに認められて映画界に入り,1919年にデッカ社の監督となる。敗戦後の〈時代の一つの記録〉といわれる《ドクトル・マブゼ(《マブゼ博士》)》(1922),民族的伝説を壮大に映画化した《ニーベルンゲン》(1924),未来都市を空想的に描いてSF映画の古典となった《メトロポリス》(1926)が世界的に注目され,また,少女殺しの実話をもとにした最初のトーキー作品《M》(1932)は,音と画面との対位法を効果的に用いた歴史的傑作とされているが,公開されてから3年後には,ナチスの禁止映画のリストに載せられた。

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大辞林 第三版の解説

ラング【langue】

ある社会に採用され、その成員の共有財産となっている言語活動の規則・手段の体系的目録としての言語。ソシュールの用語。言語活動のうちの社会的・恒常的・抽象的・一般的な側面であり、パロールに対する。「言語」と訳される。 → ランガージュパロール

ラング【Fritz Lang】

1890~1976) ドイツの映画監督。「ドクトル-マブゼ」「ニーベルンゲン」「メトロポリス」「 M 」と名作を連作した後、ナチスを避けてアメリカに渡る。ハリウッドで「暗黒街の弾痕」など約二〇本以上の作品を撮り、戦後はドイツに帰って製作。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のラングの言及

【古本】より

…S.ピープスの日記等には当時の古書の流通状況が語られている。やがてノディエ,ナポレオン,ディブディンT.F.Dibdin,ニュートンA.E.Newton,ラングA.Langらの愛書家(愛書趣味)が生まれ,古書を収集する趣味が流行するようになった。またブレーズW.Bladesのように古書を人類の知的遺産とみなし,これを保存するのは後続世代の義務だとする主張も現れ,古書の価値が広く認識されるようになった。…

【古本】より

…S.ピープスの日記等には当時の古書の流通状況が語られている。やがてノディエ,ナポレオン,ディブディンT.F.Dibdin,ニュートンA.E.Newton,ラングA.Langらの愛書家(愛書趣味)が生まれ,古書を収集する趣味が流行するようになった。またブレーズW.Bladesのように古書を人類の知的遺産とみなし,これを保存するのは後続世代の義務だとする主張も現れ,古書の価値が広く認識されるようになった。…

【ライフ】より

…それは複数の写真の組合せとキャプションとにより,視覚的な解説以上にテーマの内面的な真実へと迫ろうとする試みであった。〈フォト・エッセー〉という新しい方法への意識の確立は,すでに1937年のアイゼンシュテットによる《ワッサー女子大学》という組写真に対する,編集者の〈エッセイストとしてのカメラ〉という解説にも示されており,のちレナード・マッコムの,地方からニューヨークへ来て働きながらファッション・モデルになることを夢みる一人の女性の日常を追った《グウィンド・フィリングの私生活》(1948),フランコ政権下で昔ながらの伝統的な生活をする寒村の人々を描いたユージン・スミスの《スペインの村》(1951),アメリカのアイルランド系移民たちの姿を撮ったドロシア・ラングの《アイリッシュ・カントリー・ピープル》(1955)など,50年代を中心にして数多くの傑作が生まれた。《ライフ》はこれらの写真によって,いわゆるニュース写真では知ることのできない〈日常的な世界の中の隠された真実〉を読者に伝え,フォト・ジャーナリズムの新しいあり方を打ち立てたということができよう。…

【M】より

…1932年製作。《ニーベルンゲン》(1924)でドイツ表現主義映画を完成させたフリッツ・ラングのネロ社製作によるトーキー第1回監督作品。デュッセルドルフで起きた子ども殺害事件に取材し,小市民的な外見とおびえた表情の殺人狂(ピーター・ローレ)が強烈な印象を与えて,以後,映画に登場する社会から疎外された犯罪者像の原型となった。…

【スリラー映画】より

…さらにヨーロッパからハリウッドへ亡命あるいは移住してきた若い監督たちが,そのみずみずしいヨーロッパ感覚で,それまでアメリカ映画にはなかったまったく異質の心理的スリラーをつくって大きな刺激を与えたこともあった。オットー・プレミンジャー監督の《ローラ殺人事件》(1944),フリッツ・ラング監督の《飾窓の女》(1944),ビリー・ワイルダー監督の《深夜の告白》(1945),ロバート・シオドマク監督の《らせん階段》(1945)等々がそれである。 いわゆる〈セミ・ドキュメンタリー〉の手法を用いたスリラー映画も流行し,FBIの記録にもとづく《Gメン対間諜》(1945),実際の殺人事件を描いた《影なき殺人》(1947),集団脱獄事件を描いた《真昼の暴動》(1947),殺人犯の追跡を描いた《裸の町》(1948),FBIの記録による《情無用の街》(1948)などがつくられ,ルイ・ド・ロシュモントLouis de Rochemont(1899‐1978)のセミ・ドキュメンタリー・スタイルのニュース映画《ザ・マーチ・オブ・タイム》(1935‐51)に示唆されたといわれるこれらの映画の傾向は〈ニュー・リアリズム〉ともよばれた。…

【ドイツ映画】より

…第1次世界大戦後の〈表現主義映画〉,そこから出発して国際的な評価を得たエルンスト・ルビッチ,フリッツ・ラング,F.W.ムルナウ,G.W.パプストといった監督たち,レニ・リーフェンシュタールのオリンピック記録映画によって代表される1930年代のナチス宣伝映画,そして国際的なスターとして知られるウェルナー・クラウス,コンラート・ファイト,マルレーネ・ディートリヒ,アントン・ウォルブルック,クルト・ユルゲンス,ホルスト・ブーフホルツ,ヒルデガルド・クネフ(アメリカではヒルデガード・ネフ),ロミー・シュナイダー,マリア・シェル,マクシミリアン・シェル,ゲルト・フレーベ等々の名が,〈ドイツ映画〉のイメージを形成しているといえよう。以下,第2次大戦後,東西二つのドイツに分割されて政治的対立の下に映画活動も衰退せざるを得なくなるまでの動きを追ってみる。…

【マブゼ博士】より

…ドイツ映画。怪奇探偵映画の傑作として知られるフリッツ・ラング監督作品で,サイレント作品とトーキー作品2本(続編およびリメーク)がある。最初の作品は1922年製作,日本公開題名は《ドクトル・マブゼ》,原題は《Dr.Mabuse,der Spieler(賭博者マブゼ博士)》で,表現主義映画の代表作の一つに数えられている。…

【メトロポリス】より

…1926年製作のドイツ映画。フリッツ・ラング監督作品。1924年にアメリカを訪れたラングが,ニューヨーク港の船上からマンハッタンの摩天楼を望見してアイデアを得たという21世紀の未来都市の物語である。…

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