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ラ・サール La Sale, Antoine de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ラ・サール
La Sale, Antoine de

[生]1386頃.アルル近郊
[没]1460頃
フランスの物語作家。プロバンスの豪族の出身で,早くからアンジュー公らに仕え,ベルギー,イタリア,ポルトガルなどを訪れた。イタリアの地方伝説集,統治論,道徳論などがあるが,特に物語『小姓ジャン・ド・サントレ』 Le Petit Jehan de Saintré (1456頃執筆,1517刊) が有名。これは中世騎士道を皮肉り,シャルル7世時代末期の社会を鋭く描写したもので,近代風俗小説の先駆的作品ともいえる。

ラ・サール
La Salle, Jean-Baptiste de

[生]1651.4.30. ランス
[没]1719.4.7. ルーアン
フランスのカトリック聖職者,教育改革者。フランスのペスタロッチと呼ばれる。裕福な貴族の家に生れ,パリで学び,1672年帰郷して家督を継ぎ,78年司祭となった。当時まったく顧みられなかった貧児教育に献身し,84年教職者をキリスト教学校修士会に組織。没するまで 22の学校をフランス各地とローマに設立。またラテン語によらずフランス語を用いる寄宿学校は画期的改革であり,教師育成のための師範学校は初めての試みであった。 1900年列聖。主著『キリスト者の務め』 Les Devoirs d'un chrétien (3巻,1703) ,『キリスト教学校の経営』 La Conduite des écoles chrétiennes (20) 。

ラ・サール
La Salle, René Robert Cavelier, Sieur de

[生]1643.11.22. ロウエン
[没]1687.3.19. セントルイス近郊
フランスの探検家。イエズス会の教育を受けた。 1666年モントリオールに移住。 69~70年オンタリオ湖,エリー湖の南部を探検。カナダ総督フロンテナクに認められて,74年総督の代表としてフランスに派遣され,ミシシッピ川流域の交易の独占権を獲得。 79年ミシガン湖の西岸を南下し,セントジョーゼフ河口にいたり,ここにマイアミ城塞を築き,さらにイリノイ川に出,やがてミシシッピ川上流に達した。 82年4月ついに念願のミシシッピ河口に到達,ミシシッピ川流域全体をフランスのルイ 14世の治下におくことを宣言し,この地方を「ルイジアナ」と命名した。この広大な地域の資源を守るため,同年 12月イリノイ川岸にセントルイス城塞を築き,シカゴにも中継地をおき,ルイジアナの総督に任命された。 84年フランスからの帰途,部下の反乱にあい,そのうえ船は難破し,失意のあまり 87年1月再びカナダに帰ろうとしたが,途中部下の一人に暗殺された。

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百科事典マイペディアの解説

ラ・サール

フランスの探検家。1667年カナダに赴き,奥地探検を試みた。1681年―1682年にはイリノイ川からミシシッピ川に入り,その河口まで達し,この河谷ルイジアナと名付けた。

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