出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ボリビアの事実上の首都(憲法上の首都はスクレ)。大統領府をはじめとする行政機関および国会がある。人口83万4848(2005)。ボリビア西部のアルチプラノ(高原)から下ったすり鉢状の地形にあり,市の中心の標高は3600mで世界最高所にある首都である。スペイン人により1548年に建設された。ポトシ銀山と副王庁のあるリマとを結ぶ中継地としてこの土地が選ばれたのは,谷底にあるため寒風がさえぎられるし,金鉱もあるためであった。1586年にはスペイン人の世帯数は約200であった。1675年の総人口は約1万2600人でスペイン人4000,原住民8000ぐらいの割合であった。1780年にはスペイン人が5万3260人で,原住民は2万人程度と推定され,総人口は7万人余であった。1900年以降,政府の行政機関が憲法上の首都スクレから移り,事実上の首都としての役割を果たすようになった。斜面に発達した都市のため,市街は曲がりくねって坂道の多い景観を呈している。国際空港は街の中心よりもさらに高い標高4060mの高原上にある。格子状の旧市街は現在は中心商業地区で白人系の人々が居住し,周囲の傾斜地はインディオ系住民の生活の場となっている。1953年の農地改革により多くの自由農民が誕生し,農民の都市への出入りが自由になったため,アルチプラノ全域から人口が流入するようになり,都市は急速に膨張しはじめた。最近では,空港周辺の高地にも新住宅市街地が計画・建設されており,都市はさらに上へと拡大をはじめている。
執筆者:中川 文雄
メキシコ北西部,バハ・カリフォルニア・スル州の州都。大都市域人口は17万8101(2003)。年平均気温24℃,年降水量205mm。カリフォルニア湾に面する主要漁港で,イワシ,マグロ,カツオなどの水産資源に恵まれ,日本の水産関連企業も進出している。18世紀初めイエズス会士により都市の建設が始まったが,19世紀初め,船舶への食糧補給のために農業開発が行われ発展の基礎がつくられた。1974年バハ・カリフォルニアは準州から州へ昇格して,バハ・カリフォルニア・スル州が生まれた。
執筆者:栗原 尚子
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南アメリカ、ボリビア西部にある同国の事実上の首都。ティティカカ湖の東50キロメートルに位置する。人口79万3293(2001)。法制上の首都はスクレであるが、1900年行政機関がスクレから移ってきて以来、首都としての役割を果たしている。ボリビアの政治、文化、経済の中心地で、織物、家具製造、化学、金属、食品加工などの工業が盛んである。また交通の要地で、パン・アメリカン・ハイウェーが通じるほか、ペルーのリマより鉄道の便もある。1548年アルティプラノ高原の3700メートルの高地に建設された高原都市で、首都としては世界でもっとも高い所にある。年平均気温8.8℃、日々の気温の変化が激しく、夜間は寒い。12月~2月はしばしば雨が降る。空港はさらに高い標高4000メートルにあり、初めての訪問者には高山病にかかる人が多い。
市街地は、ティティカカ湖から流れ出るラ・パス川沿いの盆地に展開している。高い段丘上と下流部の低い所にインディオの住宅があり、中間が白人のビジネス地区になっている。純粋のインディオが住民の半分を占める。川の北東岸、ムリリョ広場が市の中心で、大統領官邸をはじめ、諸官庁、教会、サン・アンドレス大学(1830創立)があり、近代的高層建築群が集まっている。市街地には植民地風の建物はわずかで、ほとんどすべてが近代建築である。モンティクロ・デ・ソポカチとよぶ丘からの眺望は壮観で、壮大なイーマニー山を背景に谷に沿って町が発展しているさまが一望できる。
[山本正三]
メキシコ西部、バハ・カリフォルニア・スール州の州都。カリフォルニア半島南部のカリフォルニア湾に面する港湾都市である。人口5万7247(1978)。真珠採取、銀採掘の町であるが、最近は釣りの基地として有名になった。近海はエビをはじめ水産資源に富み、日本人も進出している。マサトランとの間にフェリーが通じ、半島の交通の中心地である。
[高木秀樹]
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