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リュシマコス
Lysimachos
生没年:?-前281
マケドニアの将軍。アレクサンドロス大王の信任を受け,王の死後トラキア総督としてその地に支配権を確立。大王遺領の統一支配をめざすアンティゴノス父子に対し,プトレマイオス1世等とともに戦い,前301年アンティゴノス1世を敗死させ,前287年その子デメトリオス1世をマケドニア王位から追い,勢力を伸張させたが,家庭内の紛糾のため人心を失い,シリア王セレウコス1世との戦いに敗れ,死去した。
執筆者:井上 一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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百科事典マイペディア
「リュシマコス」の意味・わかりやすい解説
リュシマコス
アレクサンドロス大王の部将。王の死後トラキア,小アジアの一部を支配し,前301年イプソスの戦に勝って小アジアの大部分を得た。のちマケドニア,テッサリアを得て勢力は強大となったが,クルペディオンの戦でセレウコス1世に敗れて死去。→ディアドコイ
→関連項目エフェソス
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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リュシマコス
Lysimachos
前360ごろ〜前281
アレクサンドロス大王の後継者のひとり
ギリシアのテッサリア生まれ。大王の死後,トラキア総督となり,ついで王を称したが,後継者間の争いでセレウコス1世によって敗死した。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のリュシマコスの言及
【ディアドコイ】より
…大王の死後将軍たちの間に,帝国の統一支配を目ざすか,自己の領域支配を目ざすかの対立が生まれた。帝国宰相[ペルディッカス]の統一支配強行に対する反発(前321)にはじまる抗争は,大王の近親をふくむ多くの権力志向者の命を失わせ,結局エーゲ海を制圧し王を称した[アンティゴノス1世],[デメトリオス1世]父子に対する,エジプト,トラキア,バビロニア,マケドニアをそれぞれ基盤とする[プトレマイオス1世],[リュシマコス],[セレウコス1世],カッサンドロスKassandros連合軍の勝利となって終わる(前301)。しかしデメトリオスはカッサンドロスの死後マケドニア王となるが,前287年リュシマコスに追われる。…
【ニカエア】より
…城門や塔を備えた町を取り巻くビザンティン時代の城壁は部分的に保存状態はよいが,かつての建造物の多くは廃虚となっている。前316年ころマケドニアのアンティゴノス1世が創設したアンティゴニアAntigoniaが,前288年にリュシマコスにより拡大され,彼の妻の名を取ってニカイアと命名された。122年の地震後ハドリアヌス帝が再建,256年のゴート人の侵入で町は一時荒らされた。…
※「リュシマコス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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