リー・クアンユー(英語表記)Lee Kuan Yew

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リー・クアンユー」の意味・わかりやすい解説

リー・クアンユー
Lee Kuan Yew

[生]1923.9.16. シンガポール
[没]2015.3.23. シンガポール
シンガポール政治家首相在任 1959~90)。中国語名は李光耀。中国移民の 4世。英語を母語として育ち,中国語およびマレー語タミル語政界入りしたのち身につけた。第2次世界大戦後,イギリスケンブリッジ大学に留学して法律を学び,1950年シンガポールに戻ってからは労働組合関係の弁護士として活躍するかたわら,イギリス植民地からの独立運動に身を投じた。1954年人民行動党 PAP創設書記長となった。1955年新憲法下初の立法評議会選挙で議員となり,イギリス連邦自治州としての地位獲得交渉で活躍。1959年完全自治獲得後の最初の選挙で大勝し,自治州首相に就任。1963年9月,マレーシア連邦結成時にシンガポールも一つの州として参加したが,1965年8月にマレーシア連邦から分離独立,リーは初代首相に就任した(→マレーシア紛争)。以来国民の支持のもとに党内左派を抑え,非同盟中立政策(→非同盟主義)を掲げ,外資導入による工業化を目指して経済発展に大きな成果を上げ,シンガポールを東南アジアの主要な金融センターに育てた。強権政治との批判も受けたが,同国の近代化と安全の確保に優れた手腕を発揮した。1990年に 31年間務めた首相の地位を退いたのち,首相府上級大臣としてゴー・チョクトン首相を補佐。2004年長男リー・シェンロンの首相就任に伴って内閣顧問となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リー・クアンユー」の意味・わかりやすい解説

リー・クアン・ユー
りーくあんゆー
Lee Kuan Yew
(1923―2015)

シンガポールの政治家。19世紀にシンガポールに移住した客家(ハッカ)系華人で李光耀とも表記する。1946年イギリスに留学し、1950年ケンブリッジ大学法科を首席で卒業。同年帰国、社会主義に傾斜した郵便労組顧問弁護士として活躍。1954年人民行動党(PAP)を結成し、書記長に就任、イギリスに対するシンガポール独立要求を掲げる。1959年立法議会選挙に圧勝、イギリス連邦内自治国の初代首相となる。1963年イギリス、マラヤと協調してマレーシア連邦に加入したが、連邦内の人種対立激化に伴い分離独立を余儀なくされ、1965年独立シンガポールの初代首相に就任。多民族・多言語・多宗教主義による民族和解と権威主義体制下の経済発展とを推進、シンガポールを代表的なNIES(ニーズ)(新興工業経済地域)に育て上げるのに成功した。冷戦後台頭した欧米先進国の人権外交に対しては、アジア諸国には個人の自由より社会の秩序を優先する「アジア的価値」があるなどと反論している。長男のリー・シェン・ロン副首相(2004年8月より首相)をめぐって「リー王朝」と批判した英字紙記者に対しては告訴によって対抗したほどである。1990年、通算31年間務めた首相を辞任したが、上級相として内閣にとどまり、2004年8月顧問相に就任(2011年辞任)。

[黒柳米司]

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20世紀西洋人名事典 「リー・クアンユー」の解説

リー・クアン・ユー
Lee Kuan Yew


1923 -
シンガポールの政治家。
元・シンガポール首相。
シンガポール生まれ。
別名李光耀。
19世紀にシンガポールに移住した客家の出身で、ラッフルズ・カレッジで学んだ後、イギリスに留学。1950年ケンブリッジ大学を首席で卒業、同年弁護士資格を取得し、帰国後は様々な労組の顧問弁護士として活躍。’54年人民行動党を創設、同書記長を務める。翌’55年立法評議会議員となり、’59年シンガポール自治国初代首相となる。その後、’63年にマレーシア発足にともないマレーシア連邦に加入。’65年にはマレーシア連邦から分離独立し、シンガポール共和国となり、初代首相。社会的正義の実現を目指し、現実的な近代化、工業政策を実施している。90年首相を辞任し総理府上級相(顧問)となる。’68年、’73年、’75年、’77年、’79年、’82年に来日。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「リー・クアンユー」の解説

リー・クアンユー
Lee Kuan Yew 李光耀

1923~

シンガポールの客家(ハッカ)華人政治家,初代首相(在任1959~90)。イギリスのケンブリッジ大学留学後,弁護士を開業したが,1954年人民行動党を創設して書記長になった。55年立法議会議員に当選,59年シンガポール自治国首相に就任した。63年マレーシア結成後は,マレー人優先を主張するマラヤ連盟党と対立し,65年シンガポール共和国を形成した。その後90年の首相辞任まで強力な政治指導力を発揮し,シンガポールの近代化を推進した。

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知恵蔵mini 「リー・クアンユー」の解説

リー・クアンユー

シンガポールの初代首相。1923年、英国の植民地だったシンガポールに生まれる。第2次世界大戦後、英国留学を経て弁護士となり、54年に政党を結成。シンガポールが英国から自治権を獲得した59年、自治州の首相となる。65年にシンガポールがマレーシアから分離独立して以降は国の首相として90年まで政権を担い、現在に至る同国の繁栄の基礎を築きあげ、「建国の父」として国内外から敬愛を集めた。首相退任後も2011年まで上級相や顧問相を歴任し、国政に強い影響力を示した。その後もアジアの政治や外交を語る論客として活動を続けていたが、15年3月23日に死去した。享年91。

(2015-3-24)

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旺文社世界史事典 三訂版 「リー・クアンユー」の解説

リー=クアンユー
Lee Kuan Yew

1923〜  
シンガポールの政治家,首相(在任1965〜90)
シンガポールの客家 (はつか) の家に生まれた。シンガポールがマレーシア連邦から分離独立して以来,首相として工業化につとめ,シンガポールの経済発展を指導した。

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367日誕生日大事典 「リー・クアンユー」の解説

リー・クアンユー

生年月日:1923年9月16日
シンガポールの政治家

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