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レピドゥス レピドゥス Lepidus, Marcus Aemilius

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

レピドゥス
レピドゥス
Lepidus, Marcus Aemilius

[生]?
[没]前152
古代ローマパトリキ (貴族) ,アエミリウス氏出身の政治家。前 187,前 175年の執政官 (コンスル ) 。前 179年戸口総監 (ケンソル ) 。前 180年以降大神官に就任。元老院の有力者として重きをなし,アエミリア街道,植民市の建設にも尽した。

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レピドゥス
レピドゥス
Lepidus, Marcus Aemilius

[生]?
[没]前77以後.サルジニア
古代ローマのパトリキ (貴族) ,アエミリウス氏出身の政治家。一時スラ派,のち寝返り,ポンペイウス (大ポンペイウス) の助力によって前 78年執政官 (→コンスル ) に就任。 L.スラの死後,その政策を廃し,追放者の召還,没収財産の返却などを行なった。

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レピドゥス
レピドゥス
Lepidus, Marcus Aemilius

[生]?
[没]前13/前12
古代ローマのパトリキ (貴族) ,アエミリウス氏出身の政治家。前 49~46年の元老院対ユリウス・カエサルの内戦中,後者にくみしてヒスパニアの一部を治め,前 46年執政官 (→コンスル ) ,前 45年カエサルの騎兵長官となった。

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デジタル大辞泉の解説

レピドゥス(Marcus Aemilius Lepidus)

[?~前13]古代ローマの政治家。アントニウスオクタビアヌスと第二次三頭政治を行ったが、前36年オクタビアヌスと対立、引退させられた。

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百科事典マイペディアの解説

レピドゥス

古代ローマの政治家。共和政末期の内乱時代にカエサルの支持者として登場した。前43年アントニウスオクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)と第2回三頭政治を始めアフリカ支配権を得たが,前36年オクタウィアヌスと対立し,政界から引退。

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世界大百科事典 第2版の解説

レピドゥス【Marcus Aemilius Lepidus】

前90ころ‐前12
古代ローマの政治家。共和政期を代表する名門の出身。カエサルの独裁官(ディクタトル)就任に協力し,その有力部将となってヒスパニアで活動,前46年にはカエサルの同僚としてコンスル(執政官)に就任した。カエサルの外征(前46‐前44)中,騎兵長官(マギステル・エクイトゥム)としてローマ市を預った。カエサルが暗殺(前44)されると,大神祇官(ポンティフェクスマクシムス)就任とひきかえにアントニウスと結託,アントニウスが元老院派に敗退(前43年3月,ムティナの戦)すると一時元老院に協力するそぶりをみせたが,結局,軍を率いてアントニウスに合流して元老院により公敵宣言をうけた(前43年5月)。

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大辞林 第三版の解説

レピドゥス【Marcus Aemilius Lepidus】

前90頃~前13) 古代ローマの政治家。第二回三頭政治を実施しスペイン・アフリカを管轄したが、オクタビアヌスと対立して引退した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

レピドゥス
れぴどぅす
Marcus Aemilius Lepidus
(前90ころ―前12)

古代ローマの政治家。名門貴族(パトリキ)アエミリウス氏族の出身。カエサルとポンペイウスとの間の内乱で前者に従い、前49年プラエトル(法務官)、前48、47年スペイン総督、前46年コンスルとなった。同年カエサルが独裁官(第三次)になると、彼の死まで副官を務めた。前44年3月にカエサルが共和派に暗殺されると、アントニウスとともにカエサル派に有利な状況をつくりだし、カエサルの後任として大神祇(だいじんぎ)官になった。翌年秋、アントニウス、オクタウィアヌスとともに任期5年の「国家再建のための三人委員」に任命されて政権を握り(いわゆる第二次三頭政治)、前42年に共和派が敗れたのち、三人委員は共和派の追放、財産没収を行ったが、以後レピドゥスはしだいに勢力を失う。前37年に三人委員の任期はさらに5年延長されたが、翌年レピドゥスは委員の地位を奪われ、権力闘争から脱落、大神祇官の地位に甘んじた。[吉村忠典]

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世界大百科事典内のレピドゥスの言及

【アウグストゥス】より

…資産相続の正当性をめぐってカエサル派の実力者アントニウスとは不和になったが,暗殺者の共和派の残党を追撃するなかで和解が成立した。前43年,アントニウスを支持するレピドゥスを加えて,〈国家再建三人委員〉を結成し,元老院の承認によって独裁官の全権を得ると,彼自身は北アフリカ,シチリア,サルディニアおよびコルシカを勢力基盤とする。前42年,フィリッピの戦で共和派の残党を一掃した際には,頭目ブルトゥスの首をカエサルの彫像の前にささげたといわれる。…

【三頭政治】より

…帝政成立前夜のローマで,有力将軍が連携して元老院を制肘(せいちゆう)し共和政体を空洞化させてゆく際の特徴的政治形態。前43年アントニウス,オクタウィアヌス(アウグストゥス),レピドゥスの三者が民会決議で〈国家再建のための三人委員〉となり,全権を掌握した事態を第2次三頭政治と呼び,前60年ポンペイウスカエサルクラッススが私的盟約により国政を牛耳ったのを,〈三人委員〉との類似から第1次三頭政治と呼ぶ。(1)第1次三頭政治 東方遠征から帰還したポンペイウスは退役兵への土地配分等の課題達成のため,前59年のコンスルのカエサル,その後援者クラッススと密約し,彼の勢力を警戒する元老院門閥の妨害を封じた。…

【ローマ】より

… カエサルの甥で遺言により養子・相続人となったオクタウィアヌスはカエサルの領袖アントニウスと結んで公式に国家再建三人委員(いわゆる第2次三頭政治)に就き(前43),カエサルを暗殺した共和主義者の軍隊をフィリッピの戦(前42)で破った。レピドゥスはポンペイウスの息子セクストゥスの征討に功があったが,やがて失脚し,オクタウィアヌスとアントニウスの両雄が残った。アントニウスはクレオパトラと結婚し帝国の東半分を私したので,オクタウィアヌスは西半分の軍勢を率い,アクティウムの海戦(前31)でアントニウス=クレオパトラ連合軍を敗走させた。…

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