翻訳|triumvirate
帝政成立前夜のローマで,有力将軍が連携して元老院を制肘(せいちゆう)し共和政体を空洞化させてゆく際の特徴的政治形態。前43年アントニウス,オクタウィアヌス(アウグストゥス),レピドゥスの三者が民会決議で〈国家再建のための三人委員〉となり,全権を掌握した事態を第2次三頭政治と呼び,前60年ポンペイウス,カエサル,クラッススが私的盟約により国政を牛耳ったのを,〈三人委員〉との類似から第1次三頭政治と呼ぶ。
(1)第1次三頭政治 東方遠征から帰還したポンペイウスは退役兵への土地配分等の課題達成のため,前59年のコンスルのカエサル,その後援者クラッススと密約し,彼の勢力を警戒する元老院門閥の妨害を封じた。この盟約は前56年以後公然化して事実上の政策を決定するものとなったが,カエサルの勢力伸張,ポンペイウスの元老院への接近により動揺した。そして対パルティア戦でのクラッススの戦死とポンペイウスに嫁したカエサルの娘ユリアの死で瓦解,前49年来の内乱に突入した。
(2)第2次三頭政治 カエサル暗殺後,アントニウス(前44年のコンスル)とオクタウィアヌス(カエサルの養子)が,仲立ちのレピドゥスを加えて連合し,〈三人委員〉として,キケロら反対派を大量処刑し,共和政体護持勢力を無力化して専制への道を開いた。この体制は前36年,西方を固めたオクタウィアヌスがレピドゥスを〈三人委員〉から追い,東方に拠るアントニウスと公然たる敵対関係に入ったことで崩壊,前31年のアクティウムの海戦の結果,オクタウィアヌスの単独支配にいたった。
執筆者:栗田 伸子
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元来は古代ローマの官職「三人委員」をさす。転じて3人の政界有力者が結んで政権を独占することをいう。ローマ史上では、二つの三頭政治が有名である。
[吉村忠典]
紀元前60年にポンペイウス、カエサル、クラッススの3有力者が、閥族を中心とする元老院に対抗して、政治上その三者いずれの利害に反することも行わないことを密約して結成。翌年コンスル(統領)に就任したカエサルの権力と、政界におけるポンペイウスの権威と、クラッススの富がこの政権独占を可能にした。この結合は前56年のいわゆる「ルカの会談」で再確認されたが、前53年にクラッススが東方で戦死したため解消し、やがてポンペイウスとカエサルが内乱で戦い、後者が勝利を得て独裁政を樹立した。
[吉村忠典]
前44年にカエサルが暗殺されたのち、その養子オクタウィアヌス(アウグストゥス)と遺将アントニウスおよびレピドゥスの三者は、前43年11月にティティウス法によって任期5年の「国家再建のための三人委員」Triumviri rei publicae constituendaeに任命され、二度目の三頭政治を行った。翌年三者は協力してカエサル暗殺者をフィリッピPhilippiの戦いで破り、その一派を厳しく追放した。三者の地位は前37年春さらに5年延長されたが、やがてレピドゥスが排除され(前36)、前31年には、クレオパトラと結ぶアントニウスとオクタウィアヌスはアクティウムで戦い、後者が勝利を得て帝政樹立に至った。
[吉村忠典]
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①〔第1次〕前60年,ローマ市で民衆に最大の人気があるカエサルと,政治家のなかで最大の有力者であるポンペイウス,そして当時の最大の富豪であるクラッススの3名が,団結して政権を独占するために密約を結んだ。各人が元老院の反対のため個々には達成できなかったものを団結して達成しようとした。前56年にルカの会談で更新。前53年クラッススの戦死により解消。
②〔第2次〕前43年,カエサル系のオクタウィアヌス,アントニウス,レピドゥスの3名は「国家再建三人委員」となり,元老院,政務官に制約されない政権独占を行った。彼らは閥族派の残存勢力を破ったが,のちレピドゥスは脱落し,アントニウスはオクタウィアヌスと戦って敗れた。オクタウィアヌスによってローマ帝政が開かれた。
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…前44年3月,カエサルが暗殺された後,追悼演説で人望を集め,その後継者たらんとしたため,オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)と元老院との3者の間に権力争いが展開した。しかし前43年11月にオクタウィアヌスおよびレピドゥスとともに5年間の国家再建三人委員会を形成し(いわゆる第2回三頭政治),政敵を追放し,元老院勢力の中心キケロを抹殺した。次いで前42年には,カエサル暗殺者のブルトゥス,カッシウスの連合軍を,オクタウィアヌスとともにフィリッピにおける2回の合戦の末破り(フィリッピの戦),元老院支配体制の息の根をとめた。…
…クラッススの後ろだてで債鬼から逃れ,前61‐前60年には〈かなたのスペイン〉の長官としてルシタニ族を討ち,戦利品で部下および国庫を潤し,政治的・軍事的に実力を貯えてゆく。前60年には,ポンペイウス,クラッススと同盟を結んで,私的な結合たるいわゆる第1回三頭政治をはじめ,両者の援助で前59年のコンスル(執政官)に就任した。 コンスルとしては,ポンペイウスの老兵および無産市民に土地を割り当てる,2回にわたる国有地分配法案,ポンペイウスの東方平定を認める法案,徴税請負法案,不当取得取締法案,アレクサンドリアの王に関する法案を通し,ポンペイウスとの結びつきを固めるとともに民衆の人気を得ようとした。…
…共和政末期ローマの政治家,将軍。いわゆる第1回三頭政治を行った。スラのもとで武勲をたてた後,前73年の法務官職を経て,前72年スパルタクスの反乱を鎮定し,ポンペイウスとともに前70年のコンスル(執政官)に選ばれ,護民官職権の回復をはかった。…
…共和政末期ローマの政治家,将軍。いわゆる三頭政治家の一人。父ゆずりのピケヌム(中部イタリアのアドリア海に面する地方)の地を軍事的・政治的・経済的地盤(クリエンテル)として政界に登場した。…
…この間にガリア・キサルピナ,ビテュニア,キリキア,クレタ,キュレネが相次いでローマの属州として組織されるとともに,前64年シリアもポンペイウスによって属州とされ,アルメニア,アラビアの一部までローマの勢力下に入れられた。 カエサルは初めポンペイウス,クラッススと私的な政治的同盟(第1次三頭政治。前60)を結び,それに基づいて前58年より前50年までガリアに滞在し,そこのケルト人諸族を鎮圧してこれを属州とし,ライン川,イギリス海峡までローマの支配領を拡大した。…
※「三頭政治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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