日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ロイヤル・ダッチ・シェル・グループ
ろいやるだっちしぇるぐるーぷ
The Royal Dutch/Shell Group of Companies
オランダとイギリスに拠点を置く多国籍石油企業。2010年度『フォーチュン』誌(アメリカの経済誌)のグローバル500社のなかで、世界トップにランクされている。「シェル」と略称される。イギリスのシェル・トランスポート・アンド・トレーディング社The Shell Transport and Trading Co. plc(STT)とオランダのロイヤル・ダッチ・ペトロリウム社Royal Dutch Petroleum Co.(RDP)という二つの親会社に起源を有する。親会社はそれぞれThe Shell Petroleum Co. Ltd. UKとShell Petroleum N.V. Netherlandsという二つの持株会社の株を所有し、これら持株会社が世界140か国以上に及ぶ現地操業会社やサービス会社に出資する形をとっていたが、2005年に二つの親会社が統合してロイヤル・ダッチ・シェルRoyal Dutch Shell plcとなり、本社はオランダに置かれた。
STTの前身は、1833年ユダヤ系のマーカス・サミュエルMarcus Samuel(1853―1927)によってロンドンに設立された商社で、日本やその他極東へイギリスの機械製品、骨董品(こっとうひん)、装飾品を輸出する小さな店であったが、1880年代には、極東、とくに日本へ灯油を輸送することを主たる業務とし、1897年にSTT社と改称した。創立当時、東洋産の装飾用貝殻の輸入によって大きな利益をあげたことが、シェル(貝殻)の名称とマークの由来である。
他方、RDPは1890年、スマトラの油田開発を目的として設立され、まもなく石油の輸送、精製、販売の分野に進出した。1903年に両社はロスチャイルド家の仲介によりアジアティック石油会社Asiatic Petroleum Co.を設立し、1907年にRDPの社長デターディングのリーダーシップのもとにSTTとの統合がなされて、ロイヤル・ダッチ・シェル・グループが誕生した。本社をオランダとイギリスに置く、世界最初の多国籍企業である。なお同社の発足にあたっては、RDPが60%、STTが40%の株式を保有することになった。
新グループ成立後、果敢な拡張戦略を展開し、原油生産地を世界各地に広げる一方、精製工場もアメリカのカリフォルニアなどに設立し、1928年にはオランダに、翌1929年にはアメリカに石油化学工場を建設した。第二次世界大戦に至るまで世界各地に生産、販売網を張り巡らせた。第二次世界大戦後、消費市場に隣接して精製工場を建設し、またイギリス、フランス、カナダ、少し遅れて西ドイツ、オーストラリア、日本に石油化学工場を建設した。1960年代に入って液体天然ガスの輸送を開始した。1970年代は原油高騰のために経営が悪化し、付加価値の高い石油精製品の生産にシフトするとともに、石油以外の金属、核燃料、石炭等の分野に経営の多角化を行った。また1970年代のグループの事業として大きな比重をもったのは北海油田の開発で、デンマーク、ノルウェー、イギリス海域で大きな成果をあげた。1980年代から1990年代にかけて環境問題が注目されはじめたため、無鉛ガソリンなど、高品質製品の開発に力を入れた。
2018年の総資産は3991億9400万ドル、売上高は3883億7900万ドル。売上高の地域別比率はヨーロッパ31%、アフリカ・アジア・オーストラリア・オセアニア40%、アメリカ合衆国23%、その他7%。原油と天然ガスの合計日産366万6000バレル。2018年時点の確認済み原油とガスの合計保有量115億7800万バレル。従業員数8万2000人。
日本法人としては、1900年(明治33)にサミュエル商会によってライジングサン石油株式会社が資本金25万円で設立された。しかし第二次世界大戦突入とともに敵国財産管理に付された。1942年(昭和17)に国産石油3社の合併により、昭和石油株式会社が設立された。第二次世界大戦後、ライジングサン石油はシェル石油と改称し、昭和石油とともにシェルグループを形成したが、1985年シェル石油と昭和石油は合併して、昭和シェル石油株式会社となった。さらに2019年(平成31)4月、出光(いでみつ)興産と経営統合して出光興産の完全子会社となった。
[湯沢 威・田村隆司]