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ロシア社会民主労働党 ロシアシャカイミンシュロウドウトウ

デジタル大辞泉の解説

ロシア‐しゃかいみんしゅろうどうとう〔‐シヤクワイミンシユラウドウタウ〕【ロシア社会民主労働党】

ロシアのマルクス主義政党。1898年プレハーノフらが結成したが、1903年ボリシェビキメンシェビキの二派に分裂。レーニンの率いるボリシェビキがロシア革命を成功させ、1918年ロシア共産党と改称。

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百科事典マイペディアの解説

ロシア社会民主労働党【ロシアしゃかいみんしゅろうどうとう】

ソビエト連邦共産党の母体。1898年創立宣言を発表。1903年第2回大会で政治的自由獲得,8時間労働制,農奴制全廃等の綱領を決定したが,ボリシェビキメンシェビキに分裂した。
→関連項目イスクラエス・エル党カリーニンコミンテルンジェルジンスキージノビエフストルーベスベルドロフスルタン・ガリエフパルブスプレオブラジェンスキープレハーノフ

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世界大百科事典 第2版の解説

ロシアしゃかいみんしゅろうどうとう【ロシア社会民主労働党 Rossiiskaya sotsial‐demokraticheskaya rabochaya partiya】

ロシアのマルクス主義政党。マルクス主義が社会民主主義としてロシア人に初めて受容されるのは,亡命中のプレハーノフらが1883年ジュネーブで創立した〈労働解放団〉による。プレハーノフは後進国ロシアの当面する革命は専制打倒のブルジョア革命だとし,二段階革命を主張した。社会民主主義者のグループがロシアに現れるのは1880年代後半からである。運動はおもにポーランドとロシア西部諸県,特にユダヤ人の間で始まり,数年遅れで各地に広がった。

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大辞林 第三版の解説

ロシアしゃかいみんしゅろうどうとう【ロシア社会民主労働党】

ロシアのマルクス主義政党。1898年結成。ボルシェビキとメンシェビキに分かれて対立し、レーニンの率いるボルシェビキがロシア革命の過程で主導権を握った。1918年ロシア共産党と改称。 → ソビエト共産党

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ロシア社会民主労働党
ろしあしゃかいみんしゅろうどうとう
Российская сочиал‐демократическая рабочая партия Rossiyskaya sotsial-demokraticheskaya rabochaya partiya ロシア語
Russian Social Democratic Labor Party英語

ロシアのマルクス主義政党。ロシア人にマルクス主義が社会民主主義として受け入れられたのは、1883年にプレハーノフらがナロードニキ主義と決別して亡命地ジュネーブで創立した「労働解放団」においてである。彼らは、ロシアが西ヨーロッパ諸国同様、資本主義を通過すること、したがって当面する革命はブルジョア革命であると主張した。その後ロシア国内で生まれたマルクス主義者のグループが、全ロシア的組織の結成に向かい、1898年にミンスクでロシア社会民主労働党の結党大会を開いた。この大会は、ストルーベの筆になる「ヨーロッパの東へ行くほどブルジョアジーは弱体になり、文化的・政治的任務がプロレタリアートに降りかかる」という有名な宣言を発したが、参加した活動家の一斉逮捕によって活動は中断した。
 党の再組織のためのイニシアティブをとったのは、レーニン、マルトフらが新聞『イスクラ』の刊行のために1900年に組織したグループである。その結果、03年夏、事実上の結党大会となった第2回党大会がブリュッセルとロンドンで開かれた。しかしこの大会で、党規約第1条をめぐり、イスクラ・グループが、職業的革命家の党を目ざすレーニン派と、より広い活動家も党員に含めようとするマルトフ派とに分裂、前者がボリシェビキ(多数派)、後者がメンシェビキ(少数派)とよばれるようになった。両派の対立はその後も続き、ボリシェビキは、18年、党名をロシア共産党(ボリシェビキ)と変更、メンシェビキの一部は国外での活動を続けた。[藤本和貴夫]

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世界大百科事典内のロシア社会民主労働党の言及

【ソビエト連邦共産党】より

…ロシア革命(十月革命)によって誕生したソ連邦を支配した唯一の政治組織で,事実上の国家機関でもあった。1898年ロシア社会民主労働党として発足,ロシア革命後の1918年ロシア共産党(ボリシェビキ)Rossiiskaya Kommunisticheskaya partiya(bol’shevikov),25年全連邦共産党(ボリシェビキ)Vsesoyuznaya Kommunisticheskaya partiya(bol’shevikov)へと名称が変化し,52年にソ連邦共産党となった(以下,党と略称)。1991年8月クーデタの後,書記長ゴルバチョフが解散を勧告,書記長を辞任して,事実上解体した。…

【プレハーノフ】より

…彼はこのような非連続的二段階革命論を終生保持し,時期尚早のプロレタリア革命は東洋的専制主義への逆転をうむと考えた。《イスクラ》刊行を通じてロシア社会民主労働党の再建にレーニンらと協力,1903年の第2回大会でレーニンとマルトフらが対立すると,やがてメンシェビキの側に加わった。05‐06年の第1次革命において革命戦略,農業綱領をめぐってレーニンと対立したが,反動期には解党派と闘った。…

【ロシア革命】より

…同年7月,内相プレーベが首都の路上で暗殺され,代わった内相スビャトポルク・ミルスキーPyotr D.Svyatopolk‐Mirskiiは譲歩路線に転換し,〈自由主義者の春〉が現出した。 政治党派としては,20世紀の初めよりマルクス主義者の党であるロシア社会民主労働党(以下〈社会民主党〉と略す)とナロードニキ系のエス・エル党が生まれ,活動していたが,全局を制したのは自由主義者たちであった。反政府的な地主層は,ゼムストボ(地方自治体)代表者の大会を開催して圧力を加え,解放同盟Soyuz osvobozhdenie(カデットの前身)に入っている自由主義的知識人は政治的デモンストレーションを目的とする解放宴会をくりかえし,立憲政治を要求したのである。…

※「ロシア社会民主労働党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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