知恵蔵 「血の日曜日事件」の解説
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1905年革命の発端をなす労働者虐殺事件。05年1月22日(ロシア暦9日)の日曜日,警察の承認と支持のもとに労働者教化組織をつくっていた司祭ガポンに率いられて,ストライキ中のプチロフ工場の労働者を中心とするペテルブルクの労働者とその家族は,皇帝に「プラウダ(正義,真実)」を求めて,得られなければ宮殿の前で死ぬつもりだという請願書を持って,冬宮めざして行進した。待ちかまえた軍隊は,冬宮前広場ほか数カ所で一斉射撃を加えた。死者は公式発表では100人前後だが,実際はもっと多いとみられている。
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…軍隊がこれに発砲し,政府発表では130人,革命家の見積りでは数百人の死者と数千人の負傷者を出した。憤激は首都中に広がり,学生・市民の同情ストがおこり,他の都市の労働者も抗議ストに入った(血の日曜日事件)。政府は問題を労働者の待遇改善問題と狭くとらえて対応しようとしたが,労働立法に消極的な資本家すら立憲的改革を要求するに至った。…
…対立はその後,05年春にボリシェビキがロンドンで自派のみの〈第3回〉党大会開催を強行するまでに至った。 血の日曜日事件を発端に1905年のロシア革命が始まり,労働者がストライキにより革命で主導的役割を演じると,党内では当面の革命をブルジョア段階のものとするプレハーノフの二段階革命論が疑われ,革命の性格をめぐる論争が始まった。トロツキーは永続革命論(永久革命論)を唱え,レーニンは労農独裁論を打ち出した。…
※「血の日曜日事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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