イギリスの天文学者。太陽大気中のヘリウムの発見者。ラグビーの中流家庭に生まれ、1857年陸軍省に入ったが、余暇に天文学をたしなみ、1866年から分光器を使用し、アマチュアながら太陽スペクトル観測の技を磨いた。1868年、紅炎の分光写真を皆既日食以外の平常時に撮影する装置を考案した。また同年にインドでの皆既日食における紅炎の分光写真中に未知の輝線を検出し、この元素をヘリウムと名づけ、1869年には紅炎の輝線にドップラー偏移を認めて、その噴出速度を測定した。また黒点のスペクトルを分析して内部気体の攪乱(かくらん)構造を解明した。黒点と気象との相関を論じ、科学雑誌『ネイチャー』Natureを創刊した(1869)。これらの功績により、1872年フランス政府から、また1874年イギリスの王立協会から表彰され、1897年に叙爵された。1885年南ケンジントン天体物理観測所所長、1903年科学振興協会会長、1913年ロッキャー天文台台長に就任した。
[島村福太郎]
イギリスの天文学者。1857年陸軍省に勤務。アマチュア天文家であったが,しだいに天体物理学に傾倒する。1868-1905年にかけて8回も日食の観測に出かける。1868年フランスのジャンサンP.J.C.Janssen(1824-1907)とは独立に,日食時以外でも太陽の紅炎を観測する方法を考案する。同年太陽大気中に未知のスペクトル線を発見し,ヘリウムと命名した。地球上では,95年ヘリウムの存在が確認された。1869年自然科学雑誌《ネイチャーNature》誌を創刊し,50年間その編集者であった。85年からサウス・ケンジントン天体物理天文台長,1913年には,新設されたヒル天文台(現在はノーマン・ロッキャー天文台)の台長となる。多数の恒星のスペクトル観測や太陽の化学組成の研究から,恒星の進化を論じ,近世の恒星物理学に影響を与えた。1897年ナイトの称号を受けた。
執筆者:日江井 栄二郎
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