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ロモノーソフ ロモノーソフ Lomonosov, Mikhail Vasil'evich

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ロモノーソフ
ロモノーソフ
Lomonosov, Mikhail Vasil'evich

[生]1711.11.19. アルハンゲリスク
[没]1765.4.15. ペテルブルグ
ロシアの言語学者,詩人。漁師の子として生れ,モスクワとペテルブルグのアカデミーで学んだのちドイツに留学。哲学,自然科学を研究,帰国後は広い分野にわたって活躍した。 1745年サンクトペテルブルグ科学アカデミーの化学教授となり 48年ロシア初の化学研究実験室を設立した。

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ロモノーソフ
ロモノーソフ
Lomonosov

ロシア北西部,レニングラード州の都市。1948年までオラニエンバウム Oranienbaum。サンクトペテルブルグの西約 40km,フィンランド湾南岸に位置し,北にコトリン島クロンシタットの要塞を望む。

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デジタル大辞泉の解説

ロモノーソフ(Mikhail Vasil'evich Lomonosov)

[1711~1765]ロシアの科学者・文学者。質量不滅の法則を発見するなど、広い分野で多くの業績がある。また、ロシア文語の先駆者で、作詩理論を発展させ、頌詩(しょうし)・詩劇などの作品も残した。

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百科事典マイペディアの解説

ロモノーソフ

ロシアの詩人,学者。哲学,自然科学,修辞学など多面にわたる才能で知られ,ロシア科学の基礎を築いた人物とみなされる。ロシア文章語の改革者としても功績があった。詩人としては古典主義的な頌詩(しょうし)にすぐれたものが多く,《エリザベタ女帝の即位に寄せて》(1749年),《神の偉大さについての夕べの瞑想》などが代表作。

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世界大百科事典 第2版の解説

ロモノーソフ【Mikhail Vasil’evich Lomonosov】

1711‐65
ロシアの学者,詩人。白海沿岸のアルハンゲリスク県の寒村(現在名ロモノーソボ)の漁夫の子として生まれ,苦学してモスクワのスラブ・ギリシア・ラテン学院とペテルブルグのアカデミー大学で学んだのち,1736‐41年,ドイツに派遣されてマールブルクフライブルクなどの大学で自然科学を修めた。帰国後,科学アカデミーの物理学の助手となり,45年からはロシア人として最初の教授兼アカデミー会員に選ばれて化学を担当した。

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大辞林 第三版の解説

ロモノーソフ【Mikhail Vasil'evich Lomonosov】

1711~1765) ロシアの詩人・自然科学者。頌詩しようし・詩劇を書くとともに「ロシア文法」「ロシア詩法に関する書簡」などを著し、三文体説を唱えてロシア近代文学の発展に貢献。また、フランスのラボアジエより先に質量保存の法則を定式化するなど物理・化学・天文学の分野でも活躍、ロシア自然科学の祖とされる。モスクワ大学の創設者。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ロモノーソフ
ろものーそふ
Михаил Васильевич Ломоносов Mihail Vasil'evich Lomonosov
(1711―1765)

ロシアの自然科学者、詩人、人文学者。白海に面したアルハンゲリスク県出身。父は、当時としては恵まれた自由農民に属し、農耕と漁獲物販売を家業としていた。モスクワに出て、スラブギリシア・ラテン学院に入学(1731)、1735年ペテルブルグ科学アカデミー付属の大学(現、ペテルブルグ大学)に送られ、翌1736年冶金(やきん)学、鉱山業を学ぶためにドイツへ派遣された。マールブルク大学、フライベルク大学に学び、ドイツ、オランダの各地を旅行して、1741年帰国、翌1742年科学アカデミーの物理学助手。1743年にはアカデミーを支配するドイツ人官僚との対立から8か月の自宅監禁にあったが、1745年アカデミー正会員、化学教授に任命され、1748年ロシア最初の化学研究実験室を設立した。1757年アカデミー事務局顧問となりロシア人学者による科学アカデミーの実現に努力した。翌1758年にはアカデミーの地理局局長にもなっている。またモスクワ大学の創立(1755)に指導的な役割を果たした。スウェーデン科学アカデミー名誉会員(1760)、ボローニャ科学アカデミー会員(1764)でもあった。[梶 雅範]

科学上の業績

ロモノーソフは、データの単なる集積でない科学における理論的研究の重要性を、実験的研究とともに強調した。物質構造についての粒子理論、熱の運動説、物質と運動の保存則の三つが彼の理論的な立脚点であり、当時流行していた不可秤量(ひょうりょう)流体の考え方に反対した。燃焼を説明するフロギストンは認めたが、可秤量で物質的なフロギストンを想定した。原子と分子の概念に近い粒子的で階層的な物質構造を考えた。以上の理論的立場にたった実験的な研究を行い、たとえば1756年には、密封ガラス管中の金属の加熱実験を行って、金属灰化の重量増加を火の粒子の吸収によるとしたボイルの説明に反駁(はんばく)を加えた。しかし、理論的実験は当時の科学アカデミー内で理解が得られず、化学技術学的な実験を主とし、たとえばガラス製造の研究を行って、モザイク画の技法を復活させた(彼の設計したモザイク画『ポルタワの戦い』(1762~1764)は現存)。ほかに空中電気の研究、ロシアの資源開発を目ざした冶金・鉱山学の研究、北極海航路開発の提案と天文観測用・航海用器械の発明、氷山の研究、ロシア地図の製作・発行の指導などがある。このような広範囲にわたる多くの先駆的な科学上の業績があるにもかかわらず、彼の死後、未発表の多くの論文草稿とともに自然科学者の面は忘れられ、ロシア国内でも詩人、人文学者としてしか評価されなかった。20世紀初頭のロシアの科学史家の研究によってようやく正当な評価を受けるようになった。[梶 雅範]

文学上の業績

人文科学の分野では「ロシア文学のピョートル大帝」と称されるほどの役割を演じた。『ロシア文法』(1755)を著し、作詩理論を発展させ、教会スラブ語とロシア語の関係を文学作品のジャンル別に整理して3文体論を定式化したばかりでなく、『神の偉大さについての朝の瞑想(めいそう)』(1751)をはじめとする頌詩(しょうし)、叙情詩、寓話(ぐうわ)詩、悲劇『タミラとセリム』(1750)などの作品を書いた。ロシアの起源をめぐってドイツ系の歴史学者の唱えたノルマン説に反駁(はんばく)したこともある。[中村喜和]

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