ロシアの学者,詩人。白海沿岸のアルハンゲリスク県の寒村(現在名ロモノーソボ)の漁夫の子として生まれ,苦学してモスクワのスラブ・ギリシア・ラテン学院とペテルブルグのアカデミー大学で学んだのち,1736-41年,ドイツに派遣されてマールブルク,フライブルクなどの大学で自然科学を修めた。帰国後,科学アカデミーの物理学の助手となり,45年からはロシア人として最初の教授兼アカデミー会員に選ばれて化学を担当した。55年モスクワ大学を創設し,同大学学長になった。58年以降,ロシア科学アカデミーの地理学部門を主宰,北極海を横断して太平洋に至る探検を唱道,計画し(1763),その実現に至るまで長く影響を与えた。晩年にはスウェーデンとボローニャの各科学アカデミーの名誉会員に選出された。
啓蒙期によく見られる学芸百般に秀でた人物で,自然科学の分野では,フランス人ラボアジエに先立って質量保存の法則を確立し,従来の熱素の概念を否定して熱力学の成立に寄与する原理を唱え,高性能の望遠鏡を発明して金星の大気を発見した。さらに,いなずまやオーロラなどの現象を科学的に解明したほか,土壌,鉱物,冶金等々についても先駆的な研究や実験を行った。一方,人文科学の分野では,ロシアの起源をめぐってドイツ系の歴史学者の唱えたノルマン説に反駁(はんばく)を加え,また《ロシア文法》(1755)を著し,作詩理論を発展させ,文学作品のジャンルに応じて高,中,低の三文体を使い分けるべきことを当時のロシア語に即して定式化し,《神の偉大さについての朝の瞑想》(1751)をはじめとする頌詩(しようし),抒情詩,寓話詩,悲劇《タミラとセリム》(1750)などの作品を残した。
執筆者:中村 喜和
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1711~65
ロシアの学者,詩人。漁夫の子。モスクワとペテルブルクで学んだのち,留学。1745年ロシア人最初の科学アカデミー会員になる。55年モスクワ帝大を創立,学長。自然科学と人文科学の双方に業績を残した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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