チェコ生まれで主にオーストリア、ウィーンで活躍した建築家。父親は石工。『装飾と罪悪』Ornament und Verbrechen(1913)をはじめとする数々のデザイン・建築論を著した評論家としても知られる。
1890年ドイツのライヘンベルク国立職業訓練校を卒業後、兵役を経てドレスデンの工科大学を卒業する。93年、アメリカに渡りシカゴ万国博覧会を訪れ、アメリカ近代建築の洗礼を受ける。その後、しばらくニューヨークに滞在し、96年ロンドンとパリを経由してウィーンに戻る。カルル・マイレーダー事務所で「ウィーン総合計画案」などの作成に携わった後、97年独立。同年、初の建築的作品、エベンシュタイン洋服店ショールーム(ウィーン)を完成させる。
ウィーンで98年開催された皇帝記念工芸展の批評をきっかけとして、ロースは工芸と建築批評を新聞に連載。近代における工芸や建築においては、伝統的で因習的な装飾に代わるものとして近代的な精神による実用性や機能性、材料の合理的な使用を主張した。これは後に、装飾を子供や刺青(いれずみ)、変質者になぞらえ、罰せられるべきとした『装飾と罪悪』(1908年に書いた草稿を元にウィーン、ミュンヘン、ベルリンなどで講演し、それらをまとめて13年に出版した)へと展開するのだが、当時、世論の反発は大きかった。しかし、共感を覚える知識人やデザイン関係者も多く、共感者からゴールトマン&ザーラッチェル洋服店(1903、ウィーン)の設計依頼を得る。依頼者は後にロースの代表作となるロース・ハウスのオーナーであった。この洋服店のインテリア・デザインの成功と評判により、アパート改装計画の仕事などを獲得し、さらにカフェ・ムゼウム(1899、ウィーン)をはじめとするカフェを手がけることになる。当時のカフェに特徴的だった小さなアルコーブ(室の壁面につくられる凹所)を排し、代わりに浅いボールト天井(アーチ状の天井)の下、ワンルームで開放的な空間を作った。ここではオットー・ワーグナーやウィーン分離派のように家具調度にいたるまで建築家が一貫してデザインするのではなく、一般に流通していたトーネット(オーストリアの家具職人のマイスター、ミヒャエル・トーネットによってつくられた家具)の曲木(まげき)椅子を再デザインして用いた。また、ケルントナー・バー(1908、ウィーン)ではファサードには大理石の4本の角柱を構え、インテリアでは格(ごう)天井(壁と天井の取付け部分に支輪をつけたもの)を用い古典的な様相をつくり出す一方、大胆に鏡を張り巡らせ柱の林立する無限空間を演出するなど、独特の空間をつくり上げた。
建築家ロースの名を決定的にしたのはミヒャエラー・ハウス(通称ロース・ハウス。1911、ウィーン)においてである。この8階建ての店舗・住居併用建築が位置するミヒャエル広場には王宮が面しており、工事中に姿を現した無装飾で平滑な壁のファサードが世論の批判を浴びた。途中、市当局から工事中止命令が出されるなど紆余曲折(うよきょくせつ)はあったが完成をみた。しかしながら足元の店舗部分には4本のトスカナ式円柱が堂々としたポーティコ(玄関柱廊)を形成するなど、古典的な構成を遵守しており必ずしも無装飾とはいえない。ロースの古典主義への参照がもっとも顕著なのはシカゴ・トリビューン社コンペ案(1922)である。これは溝のついた巨大なドリス式の柱を胴体としたモニュメンタルな高層ビルである。
ロースは一連の住宅設計においても明確なデザイン思想をもっていた。そのほとんどは無装飾で平滑な壁面による直方体で構成されている。初期の作品ショイ邸(1912)では、ピラミッド状にセットバック(境界線から後退して建てること)したテラスを設計、ホテルや集合住宅の計画案でもこれを繰り返した。一方、住宅内部ではロースが「ラウムプラン」と呼ぶ三次元的な空間をダイナミックに構成する手法を用い、ルーファー邸(1922)、モラー邸(1928)、ミュラー邸(1930)などでは吹き抜けホールとそれにつながる小さな部屋などに実現した。これは後にル・コルビュジエらの近代建築の中に受け継がれていく。
直接ロースに学んだルドルフ・シンドラーRudolph M. Schindler(1887―1953)や事務所で働いたリチャード・ノイトラは共にアメリカ西海岸に渡り、住宅設計を中心に活躍した建築家として知られる。
また、ロースはダダイストの詩人トリスタン・ツァラの自邸、ツァラ邸(1926、パリ)として有名な住宅をデザインしている。そのほか音楽家アルノルト・シェーンベルク、画家オスカー・ココシュカなど、19世紀末ウィーンのカフェ文化の中で築いた芸術家、文化人の交友も広かった。
[鈴木 明]
『伊藤哲夫訳『装飾と罪悪――建築・文化論集』(1987・中央公論美術出版)』▽『伊藤哲夫著『アドルフ・ロース』(1980・鹿島出版会)』▽『川向正人著『アドルフ・ロース』(1989・住まいの図書館出版局)』
オーストリアの建築家。モラビアのブルノ生れ。ドレスデンで学び,1893年よりアメリカに3年滞在した後,ウィーンで仕事を始める。シンケルを尊敬し,イギリスの民家に関心を持ち,またアメリカの産業建築に強い印象を受けた彼は,当時のウィーンを支配していた世紀末のユーゲントシュティールの建築のみならず,装飾をまだ残すゼツェッシオン(分離派)の建築も激しく批判し,〈装飾は罪悪なり〉と断じ,近代建築の道を示す。シュタイナー邸(1911)は,彼の言葉どおりまったく装飾を排した最初の近代建築である。作品は少ないが,ショイ邸(1912)など住宅が主で,その内部空間の豊かさは注目に値する。
執筆者:山口 廣
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…トルヌードは150g程度の円形の厚切りにしたものを用いる。いわゆるロースは適度な柔らかさと脂肪があり,肩寄りのリブを用いたリブステーキ,腰に近く,肉質が最もよいとされるサーロインを焼いたサーロインステーキなどがある。サーロインにつづいて腰骨の上部に位置するランプrumpを用いたランプステーキは,やや,かみごたえがある。…
※「ロース」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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