牛肉は、世界的にみれば、かなり古くから食べられていたものである。紀元前3000~前2000年のエジプトですでに牛肉が食べられていたようすが、ピラミッドの壁画にあるという。日本では古く大国主命(おおくにぬしのみこと)が農民にウシを食べさせたとの伝説があり、また天皇の供御(くご)にも供されていたという。しかし、仏教伝来により、676年天武(てんむ)天皇の殺生(せっしょう)禁断の命令で、ほかの肉とともにタブーとされた。この種の禁令はその後何回も出され、とくに牛馬は有用の家畜であるため、厳しく禁じられた。しかしイノシシ、シカ、クマなどは薬喰(くすりぐい)の名目で多少は食べられていた。この禁を破って牛肉を薬用と称して食べ始めたのは彦根(ひこね)藩で、これはごく限られた例外であった。幕末から外国人が日本に住むようになり、牛肉に困って当初は上海(シャンハイ)やアメリカからウシを輸入していた。しかし高価なので、但馬(たじま)牛を神戸から横浜に運ぶことになり、それが好評を博して、神戸牛の名が高まった。1866年(慶応2)に家畜処理場が東京の白金今里(しろがねいまざと)町(港区)につくられ、居留地の外国人に供給した。明治になり日本人もぼつぼつ牛肉を食べ始め、すき焼きや牛鍋(ぎゅうなべ)などが出現した。一般に日常食として牛肉を用いるようになったのは大正時代に入ってからである。そして、毎日牛肉が食膳(しょくぜん)にのぼり牛肉食が一般化したのは第二次世界大戦後である。
[河野友美・山口米子]
味のよい和牛としては、但馬牛(兵庫県)、近江(おうみ)牛(滋賀県)、米沢(よねざわ)牛(山形県)などが有名である。松阪(まつさか)牛は、但馬牛を特別に松阪で肥育したものである。但馬牛はまた神戸牛としても販売されている。近年多頭飼育が盛んになり、肉牛の産地も各地に広がってきた。しかし、乳用肥育牛が主体となってきている。和牛は、黒毛和種、褐毛和種、無角和種などがあり、とくに黒毛和種が肉用には喜ばれる。外国種ではショートホーン、アバディーンアンガス、ヘレフォード、デボン、シャロレーなどの肉用種のほか、ホルスタインといった乳牛の老廃牛や雄子牛の肥育などがある。日常よく利用されているのは乳用肥育牛で、これが牛肉消費量の半分以上を占めている。牛肉は国内産のほか輸入もされるが、おもな輸入先はオーストラリア、ニュージーランド、アメリカで、輸入牛肉は主として冷凍肉、一部には冷蔵輸送しながら肉の熟成を行うチルドビーフなどがある。牧草だけで飼育したウシの肉は一種特有のにおいがあるが、穀物などで肥育したものには牧草臭がない。
[河野友美・山口米子]
牛肉の成分は、乳用肥育牛のももで、水分66%、タンパク質20%、脂肪13%程度である。部位によって変動が大きいのが脂質で、5%(もも赤肉)から43%(ばら脂身つき)の幅がある。和牛はどの部位でも乳用肥育牛、輸入牛よりも脂肪が多い。牛肉のタンパク質は良質で多い。内臓、とくにレバーはタンパク質、脂肪のほか、各種のビタミン、無機質などを豊富に含んでいる。
[河野友美・山口米子]
牛肉は、食肉用として飼育された4~5歳の雌牛の肉が、柔らかく美味で良品とされている。肉色は鮮やかな、わずかにオレンジ色がかった赤色をしていて、きめが細かく純白でねっとりした感じの脂肪のものがよい。脂肪が赤肉中に細かく分散したものほど口あたりが柔らかく、加熱調理しても固くなりにくい。これは、肉のタンパク繊維は急速に熱がかかると強く縮み、肉が固くなる性質をもっているが、脂肪は熱の伝わり方が遅いので、これが赤肉の間に交雑していると、赤肉の部分の急速な温度上昇を防ぐからである。とくに細かく脂肪が赤肉に入り混じったものを霜降り肉とよんで、すき焼きに用いられる。一方、赤みが薄く脂肪分のないものは若い肥育牛の肉で、味は淡泊である。牛肉の肉質は体の部位によって異なり、日本では九つに区分している。
牛肉のうま味は主としてイノシン酸で、これはウシを処理してから肉を4~5℃のところに10日前後保存する、いわゆる熟成の間に多量に生ずる。冷凍肉は熟成が不十分である場合が多く、一部脱水されるので、味は、低温でよく熟成したものよりよくない。また、牛肉は空気に触れると、赤い肉色素ミオグロビンが酸化して褐色のメトミオグロビンに変化し、また脂肪も酸化して油臭くなるから、すぐに使用しないときは、空気に触れないようにきっちりと包み、冷蔵庫中に置くことがたいせつである。
[河野友美・山口米子]
牛肉の料理は多いが、代表的なものとしてビーフステーキ、ローストビーフ、ビーフシチュー、すき焼きなどがある。
ビーフステーキは牛肉そのものの味を楽しめる料理で、それだけによい肉でなければならない。サーロインがもっともよいが、ヒレ、ロース、ランプなども使用される。肉は1.5~2センチメートル程度に厚く切るほうがよい。焼くための熱源は炭火が優れている。鉄板やフライパンで焼く方法もあるが、牛肉本来の味を出すには直火(じかび)焼きがよく、専用の金網を火にかけて強火の遠火で焼き、肉の中の汁をできるだけ多く残すようにする。焼き方により、中がまだ生(なま)で表面だけ焼いたレア、中心部に赤い部分がかなり残る程度のミディアム、レアとミディアムの中間的なミディアムレア、中まで火を通すウェルダンがある。ビーフステーキは焼きたてにメートル・ド・テール・バター(バターをクリーム状に練り、塩、こしょう、レモン汁、さらしパセリを加えて冷やし固めたもの)をのせることが多い。ローストビーフは、ロース、ヒレ、ランプなどの大きな肉のかたまりをオーブンで焼いたもので、これを薄く切り、グレービーソースをかけて食べる。また、ローストビーフを十分に焼き、よく冷やしたものをコールドビーフという。薄切りにしてソースやマスタードで食べたり、サラダやサンドイッチなどにする。ビーフシチューは、牛肉を大きく切って野菜類とともに煮込んだ料理。ばら、肩などの、味があるが比較的堅い肉を用いる。まず初めに肉の表面を焼いてから煮込む。煮込み時間の長いほうが味が出るうえ、肉も柔らかくなる。通常3時間は煮る必要がある。野菜は、タマネギ、ジャガイモ、ニンジンなどとともに、香味野菜やスパイスも使う。汁の味つけにはトマト、ブラウンルウなどが使われる。ハンバーグステーキは、牛肉のひき肉に卵、みじん切りのタマネギ、パン粉などを加えてよくこね、形を整えて焼いたもので、肉の細片や、堅い部分であるが味のよいものなどを使える経済的な料理である。同じ材料を焼き型に入れて焼くとミートローフになる。すき焼きは日本独特の牛肉の鍋料理で、本来は、農具の古い唐鋤(からすき)を使ったところからこの名が出たという。東京風と関西風の煮方があり、東京風は牛鍋から発展したために割下(わりした)とよぶ煮汁を使う。関西は本来の鋤焼きからの伝統があり、まず肉を鍋でじかに炒(い)りつけてからネギ、砂糖を加え、これにしょうゆを直接注ぐ。すき焼きは肉を強熱するため、脂肪分が霜降り状になったところが柔らかいので、ロースが用いられる。牛肉の料理には、このほか、薄切り肉をさっと湯通しするしゃぶしゃぶ、フライ状にするビーフカツレツ、オイル焼き、バーベキュー、肉じゃが、ビーフカレー、肉丼、てんぷら、青椒牛肉絲(チンジャオロウスー)(ピーマンとの炒(いた)め物)などのほか、みそ漬け、粕(かす)漬け、佃煮(つくだに)などにもされる。
[河野友美・山口米子]
『山口勧著『肉の教科書』(1989・富民協会)』▽『横田哲治著『牛肉――自由化後の戦い』(1990・富民協会)』▽『吉田忠著『牛肉と日本人――和牛礼讃』(1992・農山漁村文化協会)』▽『鈴木普著『食肉製品の知識』改訂版(1996・幸書房)』
日本にウシが大陸から移入されたのは縄文文化期の後期と思われるが,それ以後弥生文化期まで,ウシの肉が食用にされていたことを示す痕跡はほとんどない。古墳時代に入ると《古事記》や《日本書紀》に牛肉を食べたことを示唆する記録があり,《古語拾遺》には,神代に大地主(おおとこぬし)神が田をつくる日に,牛肉を田畑で働く人に食わせたという記述がある。牛肉を食べたというこれらの記録は,4世紀以後大陸から日本へ来た多くの渡来民が持ってきた食文化を示すものらしい。以後の日本における牛肉食については〈肉食〉の項目に譲るが,幕末ごろからヨーロッパとの接触が拡大するとともに,牛肉を食べる文化はだんだんと日本に広まってきた。
日本の肉牛は大部分が黒毛和種で,各地で生産された子牛を,三重県や滋賀県へ送って濃厚飼料で念入りに肥育したものが松阪牛や近江牛などの銘柄牛と呼ばれ,とくに3歳の未経産の雌牛の肉が最上であるとして珍重される。ただし,三重県,滋賀県産であっても,特別の飼育をされていないものは銘柄牛とは呼ばない。ロース部の肉の筋繊維の間の結合組織に脂肪が入りこんだものは霜降り(マーブリング)肉と呼ばれる。但馬(たじま)牛というのはこれらの銘柄牛の素(もと)牛の生産地としての地名により,神戸牛というのは過去においてこれらの銘柄牛の積出地としての地名による。乳牛(ホルスタイン種)の雄の子牛も肥育されて肉用となる。外国のものは大部分チルドビーフとして輸入されているが,これは冷蔵肉と凍結肉の中間の温度(約-1℃)に保冷されているもので,冷蔵肉より汚染の菌の増殖が少なく,凍結肉のように解凍による浸出液(ドリップ)が少ないという利点がある。
牛肉の部位による名称は,明治以来の外来語のなまった日本式のものと,最近の輸入肉の増加により,スーパーマーケットなどでみられるアメリカ式のものとが用いられている。日本式は厳密には関東と関西では異なり,アメリカ式もシカゴとニューヨークではいくらか異なり,またイギリス式(オーストラリア)はアメリカ式とも異なる。
牛肉は必須アミノ酸をバランスよく含み,すぐれたタンパク質の供給源であり,ビタミンB,リン,鉄は多いが,カルシウムは少ない。その風味(味とにおい)成分は新鮮肉の水抽出物の加熱によって生ずるが,これは水抽出物の成分であるアミノ酸と還元糖の反応による。
→ウシ
執筆者:森田 重広
牛肉の肉質は部位によっても異なるので,それぞれの料理に合わせて肉を選ぶことが必要である。ヒレ(テンダーロイン),リブロース,サーロインはステーキやローストにするが,ステーキについては〈ビーフステーキ〉の項を参照されたい。ローストビーフは少なくとも1kg以上の牛肉の塊を用意し,天火でミディアム(内部に生の部分が残る程度)に焼いたものに,流れ出た肉汁の味をととのえたグレービとホースラディシュを添えて供するもので,これの冷製がコールドビーフである。ビーフシチューは角切りにしたバラ肉をいため,野菜と香辛料を加えてトマトペーストとブイヨンで煮込むもので,煮汁に小麦粉を加えることもある。タンシチュー,オックステールシチューはそれぞれタン(舌)とテール(尾)を使うもので,タンはゆでて皮をむいたものを丸ごと,テールは毛を除いて関節ごとに切り離したものをいためてから,ビーフシチューとほぼ同じように煮込む。いずれも肉質がかたいので,よく煮込む必要がある。また,みそ漬には上質のやわらかい肉が使われるが,これは江戸時代には近江の彦根藩から例年将軍家に献上されたものであった。なお,ビールと呼ぶ子牛肉は,生後2~3ヵ月の乳牛の雄が多く,肉は色が淡くやわらかで脂肪も少なく,背肉はステーキ,もも肉はローストやカツレツにされる。
執筆者:平野 雄一郎
牛肉は欧米諸国では,主食的地位を占めるといっていいほどの重要な食品であり,世界全体では5051万t(枝肉量,1994)の生産量がある。1960年代までは肉生産の首座を占めていたが,70年代に入ってからは豚肉が第1位になり,牛肉は第2位になった。鶏肉がこれに続く。
日本でも,かつては肉生産の第1位は牛肉だったが,第2次大戦前に豚肉に並ばれ,1960年代に入ってすぐ首座を奪われた。65年以降は鶏肉にも追い越され,現在に至っている。1人当り年間肉供給量は31.3kgになっているが,牛肉は8.3kgにしかすぎず,豚肉11.4kg,鶏肉11.0kgより少ない(1995年度)。なお生産量は59万t,輸入量は94万tである(枝肉量,1995年度)。
牛肉は美味であり,根強い需要があるものの,1960年以降豚肉などに比べて牛肉は価格高騰が著しかったため,増大する肉需要のほとんどが豚肉,鶏肉で充足されることになったのである。子牛生産飼育規模の零細性や農業機械化による役利用の消滅が素牛育成コストを高くし,松阪肉を最上とするようなサシ(赤肉の中に混じった脂肪をサシといい,その比率でランクがある)偏重の肉質評価慣習が肥育コストを高くする肥育方法をとらせていること,そういう生産体制を,輸入数量割当て,畜産振興事業団(1996年10月,農畜産業振興事業団に改組)による輸入差益金徴収という国際市場との遮断措置が支えていることなどが,牛肉の高価格形成要因としてあげられる。
著しい品質格差,通貨換算レートの変動などの問題があるので,農産物価格の国際比較はむずかしいが,日本の牛肉価格は国際的にみても高い。日本はもっとも成長性のある牛肉輸出市場と目され,とくに貿易赤字解消を農産物輸出に求めるアメリカの日本に対する牛肉自由化要求は強かった。これらの経過をうけて91年より牛肉輸入が自由化されたが,牛肉国際市場はきわめて変動的で,過度の輸入依存は危険である。
執筆者:梶井 功
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…例外は役牛にも種牛にもならなかった雄牛で,それらは早めに去勢して肉牛として飼育された。ヨーロッパで牛肉として珍重されたのは肉質のやわらかい去勢雄牛の肉で,英語のビーフbeefの語源ともなった。そうした肉を口にできるのはごく一部の上流階級に限られた。…
…また加工副産物としての脱脂乳,乳清(ホエー),バターミルクなどはヨーグルトその他の乳酸飲料として利用されたり,工業原料として使われている。(2)牛肉 ウシの肉は赤褐色で,かたくて弾力がある。老齢のものほど色は暗色になり,繊維も粗く,脂肪も黄色みを帯びて風味が劣る。…
…例外は役牛にも種牛にもならなかった雄牛で,それらは早めに去勢して肉牛として飼育された。ヨーロッパで牛肉として珍重されたのは肉質のやわらかい去勢雄牛の肉で,英語のビーフbeefの語源ともなった。そうした肉を口にできるのはごく一部の上流階級に限られた。…
※「牛肉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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