ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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イタリアのローマにある国立大学。1303年教皇ボニファティウス8世(在位1294~1303)によって、市の大学Studium urbisとして設立された。当初から法学と教養諸学科の教育で知られたが、全般的には振るわず、1431年教皇エウゲニウス4世Eugenius Ⅳ(1383ごろ―1447、在位1431~1447)が大学の再建に乗り出した。その後も政治的動揺などの理由により、大学の発展はしばしば停滞した。同大学が本格的にイタリアの中心的大学としての地位を獲得したのは、1861年のイタリア王国の成立以後であるとされている。その後1935年にはテルミニ駅近くに建設された大学都市Città Universitariaに移転した。法学、政治学、経済学、人口・統計学、文学、心理学、理学、社会学、工学、建築学、医学、薬学の12学部と、航空宇宙工学および学芸員・司書養成の二つの専門学校をもつ。付属研究施設としては国立高等数学研究所などがある。1960年代の急激な高等教育拡張の結果、専任教員数約4060人、学生数約16万人(1997)を数え、同国最大の高等教育機関となっている。
なおローマには、ほかにも二つのローマ大学があり、それぞれ名称を“Tor Vergata”“Tre”といい、まったく別の大学である。イタリアの国立大学は、所在する都市名が名称として付けられる。ローマの場合は、三つの大学の名称が重なるので、さらに細かい地名や設立された順番を付け加えて区別している。本項のローマ大学の名称に付けられている“La Sapienza”は、ローマ中心部の地名である。
[伊藤彰浩]
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