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ワリー Walī, Muḥammad

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ワリー
Walī, Muḥammad

[生]1667. アウランガーバード
[没]1707?
インド,ウルドゥー語詩人。 1700年にデリーを訪問し,当時ペルシア詩を中心としていた詩壇に流麗なウルドゥー抒情詩を紹介した。ウルドゥー詩の父と称される。生涯についてはわからない部分が多い。

ワリー
Walī

アラビア語の語義は,保護者,後見人,親類,仲間などであるが,特にイスラムの神秘主義で,「聖人」「隠者」などの称号として使用される。この「聖人」の定義,資格,能力などについては,地域,民族の間でさまざまである。また,ワリー・アルアフド Walī al-Ahdとは,「カリフの継承者」を意味し,その起源は,ウマイヤ朝の創建者ムアーウィヤ1世が,慣例を破って,息子のヤジード1世をワリー・アルアフドに指名したことにある。

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百科事典マイペディアの解説

ワリー

インドの初期ウルドゥー語の詩人。ペルシア語詩が中心であったデリーにウルドゥー語の抒情詩を紹介し,以後ウルドゥー詩が徐々に主流となり,〈ウルドゥー詩の師〉と呼ばれる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ワリー【Valī Muhammad】

1667?‐1707?
インドの詩人。ウルドゥー文学史初期の詩人として最も大きな評価を得ているが,その生涯と作品にいくつか不明な点がある。デカンのアウランガーバード出身とされている彼は,20歳のときにグジャラートアフマダーバードに移住しスーフィーの修道場に入り,ダッキニー・ウルドゥー語の詩作も始めた。1700年にワリーはデリーにのぼったが,彼のデリー訪問はウルドゥー韻文文学の発達史上に最も重要なできごととなった。当時のデリーの詩人たちはもっぱらペルシア語で詩作していたが,ワリーは彼らにペルシア詩の要素を盛り込んだウルドゥー語の抒情詩を紹介して大きな衝撃を与えた。

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大辞林 第三版の解説

ワリー【Mohammad Walī】

1667~1741) インドの詩人。ウルドゥー語の韻文文学興隆の基礎を築いた。作「詩集」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ワリー
わりー
Wal
(1667?―1707?)

インドの詩人。デカンのアウランガーバードに生まれる。ダキニー(ダカニー)とよばれるデカン・ウルドゥー語の代表的な詩人で、1700年にデリーを訪問しダキニーによる詩を発表、当時もっぱらペルシア語で詩作をしていたデリーの詩人たちに強い衝撃を与えた。この結果それまで単に市井の話しことばにすぎないと考えられていたウルドゥー語が、詩作に用いられるようになり、やがてデリーを中心にウルドゥー詩の全盛期を迎えることになった。ワリーの詩は美への賞賛を主題とし、全体にみなぎる明るさと、平易な比喩(ひゆ)などを特徴としている。『ワリー詩全集』(1927)など数冊の詩集が出版されている。[鈴木 斌]

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