中国,明代後期より清初にかけて行われた税法。従来多くの項目に分かれて割り当てられていた租税,力役(徭役(ようえき))を銀納化し,各項目を一条にまとめて銀で納入させることにしたのがこの税法である。一条編法と記すのが正しいとされるが,単に条鞭とも一条法と記すこともある。明の税法は本来は土地税として夏税(かぜい)・秋糧を徴し,米,麦などの現物を納入させるのが原則であった。一方,力役は里甲正役と雑役があり,各個人に割り当てられた。その場合これら租税,徭役は各農家の人丁数や土地,財産の所有高によってきめられた三等九則の戸則を基準として課税されたのであるが,税,役それぞれが多くの項目に分かれていたので,徴税規則はすこぶる複雑であった。15世紀半ばになると農民の負担はいっそう増え,雑役は均徭,駅伝,民壮などに分かれ,里甲正役と並んで四差とよばれた。負担の増加とともに,それを逃れるための不正行為も激しくなり,有力地主が負担を逃れ,小農民に過重な負担が加わるという状況が進行した。そこで徴税合理化の方法として租税,力役の銀納化を進めるとともに,課税対象として土地を最も重要視する傾向が強められた。土地所有額を課税の基準とするとともに,税,役の雑多な項目を一本にまとめ,銀に換算して課税する一条鞭法の改革が生みだされたのである。
この税法は16世紀中ごろから地方的に実施されたが,各地の経済発展の状況を反映して,華中が最も早く,ほぼ華南,華北の順で,16世紀末には各地に普及した。しかしその内容には地方と時期によって差があり,(1)力役各項の合併徴収,(2)租税各項の合併徴収,(3)税・役両者各項の合併徴収,と内容により3者に大別され,その合併にも程度の差があった。なかでも役の負担の一部を土地に割り当て土地税(税)と合併して徴収する(3)の型の発展型がしだいに増えたが,これは清代の地丁併徴の先駆をなすものと考えられている。
→地丁銀
執筆者:谷口 規矩雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、明(みん)後期から清(しん)初に行われた税、徭役(ようえき)制度。鞭は編、辺とも記され、一条法、条鞭と略された。税、役各項の複雑多岐にわたる諸内容を1条にまとめて徴収したので、この名称が生じた。明の税は、唐中期以来の両税法により夏税、秋糧を徴収したが、それらは米、麦、生糸、絹などの現物(本色(ほんしき))納入を原則とした。また、徭役は里甲正役と雑役とからなり、実際の労働力の徴用が中心であった。税、徭役は郷村組織である里甲制を通じて収取されたが、税、役各項の負担の軽重に応じて、各戸内人数(人丁(じんてい))、資産の多寡を総合評価した戸則(こそく)(三等九則)によって割当てが行われた。明初は内容も簡単で負担も比較的軽かったが、都城宮殿の造営、文武官員の増加、外征軍費の増額などで税、役の絶対量が増え、とくに永楽帝(在位1402~24)の北京(ペキン)遷都が漕運(そううん)労役を重くし、付加税(加耗(かこう))を増大させたりして、15世紀には税、役ともに項目数も内容も複雑で過重なものとなった。
明中期には産業が発達して銀が流通し、税、役の銀による代納が普及すると、税、役の諸項内容を銀額で表示し、それぞれを合算して総額を出し、その総額を、検地(丈量(じょうりょう))と検丁(編審(へんしん))によって確認された一州県内の田土と人丁に割り当てる方法が始まった。1530年8月に大学士桂蕚(けいがく)が上申し、同年10月に戸部議案となった改革案は、翌年3月の御史(ぎょし)傅漢臣(ふかんしん)の上言によれば、一条編法とよばれていたが、夏秋両税などの合算銀額が畝(ほ)(面積の単位)ごとに若干両、同じく徭役銀も丁ごとに若干両、畝ごとに若干両とされていた。しかし一条鞭法は、これより順調に進展したのでなく、とくに華北には施行の反対論が強く、その普及は1580~82年の張居正(ちょうきょせい)の行った丈量以後のことであった。
[川勝 守]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
条鞭とか一条法などともいう。唐末以来の両税法に代わって,明後半から清初にかけて施行された税制。土地を対象とする田賦(でんぷ)や人丁(じんてい)を対象とする徭役(ようえき)などを,一括して銀で納付させた税法。これまでの個別的割当て徴収を銀による一括徴収に代えて,税徴収の簡素化を図った点に特色がある。16世紀後半,まず江南で実施され,同世紀末までにほぼ全国に普及した。その実施は,明中葉頃から銀の流通を反映して,田賦や徭役を銀で代納し始めていたことと関連が深い。なお一条鞭法の実施により新たに租税台帳として,賦役全書がつくられた。
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…また行政運営に必要な労働を民戸に課する徭役は,田賦とならぶ人民の二大負担であったが,これも中期以降しだいに銀納が拡大した。田賦,徭役の銀納化は,税制の簡素化,徴税の能率化と結びついて,嘉靖(1522‐66)以後,一条鞭法として普及することになり,両税法以来の大きな税制改革となった。
[軍事]
軍事関係では,明初全軍が大都督府のもとに統率されていたが,1380年(洪武13)中書省廃止の際,大都督府も分割されて前後左右中の五軍都督府となった。…
※「一条鞭法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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