丁玲(読み)テイレイ

デジタル大辞泉 「丁玲」の意味・読み・例文・類語

てい‐れい【丁玲】

[1904~1986]中国の女流作家臨澧りんれい湖南省)の人。本名蒋冰姿しょうひょうし左翼作家連盟に属し、夫の胡也頻刑死後、共産党入党解放区で文化宣伝工作に従事。1954年ごろより批判を受けて第一線から退く。1979年名誉回復。作「霞村にいた時」「太陽桑乾河を照らす」など。ティンリン

ティン‐リン【丁玲】

ていれい(丁玲)

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精選版 日本国語大辞典 「丁玲」の意味・読み・例文・類語

てい‐れい【丁玲】

  1. 中国の女流作家。本名、蒋冰姿(しょうひょうし)。湖南省𦣪澧県出身。胡也頻の妻。月刊誌「紅黒」「北斗」を主宰。左翼作家連盟に加入し抗日運動を行なった。中国作家協会副首席。代表作「太陽は桑乾河を照らす」。(一九〇四‐八六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「丁玲」の意味・わかりやすい解説

丁玲
ていれい / ティンリン
(1904―1986)

中国の女流作家。本名蒋冰姿。筆名はほかに彬芷(し)、叢喧など。湖南省臨豊県出身。上海(シャンハイ)平民女学校、上海大学を経て北京(ペキン)大学付設補習学校に入学。上海時代に無政府主義の影響を受ける。1927年処女作『夢珂(モンコ)』を『小説月報』に発表。疎外された自己実現の苦悩をテーマとした小説『莎菲(ソフイ)女士の日記』などを次々と発表。30年中国左翼作家連盟(左連)に加盟、31年夫胡也頻(左連五烈士の一)刑死後、左連機関誌『北斗』の主編となる。共産党に入党。『水』『母親』がこの期の佳作。33年国民党特務に捕らえられ、転向が取りざたされたが36年陝甘寧(せんかんねい)辺区に脱出。辺区での文化宣伝工作に従事。『解放日報』文芸欄主編を務め、抗日に立ち上がる人物像を描く『霞村にいた時』(1943)などの作がある。42年『国際婦人デーに思う』が批判を受け、自己改造を目ざした習作を重ね、土地改革をテーマとした『太陽は桑乾河を照らす』(1948)でスターリン文学賞を受賞。解放後『文芸報』『人民文学』主編。57年反右派闘争により批判を受け、転向問題や『国際婦人デーに思う』がふたたび俎上(そじょう)に上る。以後、北大荒の農場に下放され、さらに文化大革命中投獄されたが、79年に名誉回復。『牛棚小品』『杜晩香(トウワンシヤン)』にこの間の見聞体験をつづる。中国作家協会副主席を務めた。

[北岡正子]

『岡崎俊夫訳『霞村にいた時』(岩波文庫)』『高畠穣訳『太陽は桑乾河を照らす』(『現代中国文学5』所収・1970・河出書房新社)』『中島みどり編・訳『丁玲の自伝的回想』(1982・朝日新聞社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「丁玲」の意味・わかりやすい解説

丁玲 (ていれい)
Dīng Líng
生没年:1904-86

中国の作家。本名は蔣冰之。湖南省臨澧県出身。父は大地主であったが,丁玲は幼時に父と死別,小学校教員となった母に育てられた。上海の平民女学校などを経て,1924年北京に出,胡也頻(1903-31)と知り合い同居,文学に傾き,27年小説《夢珂》《莎菲女士の日記》を《小説月報》に投稿して認められた。2作ともに若い知識人女性の愛と内面生活を描いて虚無的情緒をもつ。28年上海に移り,沈従文らと《紅黒》を発刊。30年左聯に加入。31年共産党員であった胡也頻が逮捕処刑された後,左聯の機関誌《北斗》を主編,32年入党。33年国民党に逮捕されたが,36年解放区へ脱出,以後党の文化部門の主要メンバーの一人となる。42年整風運動の中で批判されたが,48年には土地改革を描いた長編《太陽は桑乾河に輝く》で高い評価を得,この作品で51年度スターリン文学賞を獲得。解放後は《文芸報》主編,中央文学研究所所長を務めた。57年陳企霞らとともに反党右派分子として批判され,北部辺境などで過ごした後,79年名誉回復された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「丁玲」の意味・わかりやすい解説

丁玲
ていれい
Ding Ling

[生]光緒30(1904).10.12.
[没]1986.3.4. 北京
中国の女流作家。湖南省臨 澧県の人。本名,蒋い文 (しょういぶん) 。没落地主の出身。 1921年北京に出て胡也頻 (こやひん) と同棲し,27年処女作『夢珂』,次いで『莎菲女士の日記』 (1928) を発表。 31年左翼作家連盟に参加,同年胡也頻が国民党に銃殺されたのち急激に左傾し,水害を描いた力作『水』 (31) を書いた。 33年逮捕されたが転向を誓って出獄,延安に移って『霞村にいたとき』 (39) などを書き,解放後は長編『太陽は桑乾河を照らす』 (48) によってスターリン賞を受けた。 55年頃から個人主義的傾向を批判され,まもなく第一線から退き,東北に移って農村生活をおくっていたが,70年四人組によって投獄され,5年間の牢獄生活ののち山西省の農村に追われた。 79年名誉回復し,中国人民政治協商会議委員に選ばれ,『太陽は桑乾河を照らす』の続編ともいうべき『厳寒の日々』を執筆しはじめた。ほかに『自殺日記』,ルポルタージュ『陝北風光』 (48) など。 84年長短編 300余の『丁玲選集』 (6巻) 刊行。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「丁玲」の解説

丁玲(ていれい)
Ding Ling

1904~86

中国現代の女流作家。湖南省臨澧(りんれい)の人。幼くして父を亡くし,母の強い影響のもと,女性の自立を早くから意識した小説を多く世に出した。1930年中国左翼作家連盟に加入,32年に中国共産党に入党。33年国民党特務に逮捕されるが脱出し,辺区において抗日戦争宣伝活動に従事した。中華人民共和国成立後は『人民文学』の編集に携わる。反右派闘争では「反党集団」の烙印を押され,文化大革命期でも迫害を受けて投獄された。79年に名誉回復された。

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百科事典マイペディア 「丁玲」の意味・わかりやすい解説

丁玲【ていれい】

中国の女性作家。本名は蒋冰之。湖南省出身。初期には奔放な女性の恋愛を描いたが,1930年代には夫の胡也頻(こやひん)〔1903-1931〕が国民党に処刑される事件もあって左翼化し,中国左翼作家聯盟で活動。のち国民党に逮捕され,一時転向したが,抗日戦争中に延安に入り,短編集《霞村にいた時》などを発表,さらに土地改革を主題とした長編《太陽は桑乾河に輝く》でスターリン文学賞を受けた。1957年の反右派闘争では右派分子として批判され失脚したが,1979年名誉回復。
→関連項目沈従文

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旺文社世界史事典 三訂版 「丁玲」の解説

丁玲
ていれい
Dīng-Líng

1904〜86
中国の女流作家
本名蔣褘文 (しよういぶん) 。初期には恋愛至上主義小説を書いたが,1931年ごろから急激に左傾し,延安に走って,農民の苦悩と成長を力強く描いた。1957年反革命分子として批判されたが,1979年に復権された。代表作『霞村にいた時』『太陽は桑乾河を照らす』。

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367日誕生日大事典 「丁玲」の解説

丁玲 (ていれい)

生年月日:1904年10月12日
中国の女流作家
1986年没

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世界大百科事典(旧版)内の丁玲の言及

【中国文学】より

…しかし,こうした左翼文学運動には党員のセクト的傾向が終始つきまとい,いわゆる〈自由人〉や〈第三種人〉を標榜するリベラルな文学者をおしなべて〈敵〉として攻撃・排除したことで,みずから戦線を狭くしていったことも認めなければならない。 この時期はまた,茅盾(ぼうじゆん),老舎,巴金,丁玲,曹禺など,のちの中国文学を担う文学者たちが,つぎつぎと世に出た時代であった。なかでも茅盾《子夜》(1931),巴金《家》(1930),李劼人(りかつじん)《死水微瀾》,老舎《駱駝の祥子》(1937)などは,中国文学が世界に通用する本格的ロマンを持ち始めたことを示した。…

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