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丁玲 ていれい Ding Ling

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

丁玲
ていれい
Ding Ling

[生]光緒30(1904).10.12.
[没]1986.3.4. 北京
中国の女流作家。湖南省臨 澧県の人。本名,蒋い文 (しょういぶん) 。没落地主の出身。 1921年北京に出て胡也頻 (こやひん) と同棲し,27年処女作『夢珂』,次いで『莎菲女士の日記』 (1928) を発表。

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デジタル大辞泉の解説

てい‐れい【丁玲】

[1904~1986]中国の女流作家。臨澧(りんれい)(湖南省)の人。本名、蒋冰姿(しょうひょうし)。左翼作家連盟に属し、夫の胡也頻刑死後、共産党に入党。解放区で文化宣伝工作に従事。1954年ごろより批判を受けて第一線から退く。1979年名誉回復。作「霞村にいた時」「太陽は桑乾河を照らす」など。ティン=リン。

ティン‐リン【丁玲】

ていれい(丁玲)

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百科事典マイペディアの解説

丁玲【ていれい】

中国の女性作家。本名は蒋冰之。湖南省出身。初期には奔放な女性の恋愛を描いたが,1930年代には夫の胡也頻(こやひん)〔1903-1931〕が国民党に処刑される事件もあって左翼化し,中国左翼作家聯盟で活動。
→関連項目沈従文

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世界大百科事典 第2版の解説

ていれい【丁玲 Dīng Líng】

1904‐86
中国の作家。本名は蔣冰之。湖南省臨澧県出身。父は大地主であったが,丁玲は幼時に父と死別,小学校教員となった母に育てられた。上海の平民女学校などを経て,1924年北京に出,胡也頻(1903‐31)と知り合い同居,文学に傾き,27年小説《夢珂》《莎菲女士の日記》を《小説月報》に投稿して認められた。2作ともに若い知識人女性の愛と内面生活を描いて虚無的情緒をもつ。28年上海に移り,沈従文らと《紅黒》を発刊。

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大辞林 第三版の解説

ていれい【丁玲】

1908~1986) 中国の女流小説家。本名、蔣冰姿。「莎菲スオフエイ女史の日記」で認められる。のち、延安に入り、「霞村にいた時」「夜」「太陽は桑乾河を照らす」などを発表。1957年、反右派闘争で批判、追放されたが、79年名誉回復。ティン=リン。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

丁玲
ていれい / ティンリン
(1904―1986)

中国の女流作家。本名蒋冰姿。筆名はほかに彬(し)、叢喧など。湖南省臨豊県出身。上海(シャンハイ)平民女学校、上海大学を経て北京(ペキン)大学付設補習学校に入学。上海時代に無政府主義の影響を受ける。1927年処女作『夢珂(モンコ)』を『小説月報』に発表。疎外された自己実現の苦悩をテーマとした小説『莎菲(ソフイ)女士の日記』などを次々と発表。30年中国左翼作家連盟(左連)に加盟、31年夫胡也頻(左連五烈士の一)刑死後、左連機関誌『北斗』の主編となる。共産党に入党。『水』『母親』がこの期の佳作。33年国民党特務に捕らえられ、転向が取りざたされたが36年陝甘寧(せんかんねい)辺区に脱出。辺区での文化宣伝工作に従事。『解放日報』文芸欄主編を務め、抗日に立ち上がる人物像を描く『霞村にいた時』(1943)などの作がある。42年『国際婦人デーに思う』が批判を受け、自己改造を目ざした習作を重ね、土地改革をテーマとした『太陽は桑乾河を照らす』(1948)でスターリン文学賞を受賞。解放後『文芸報』『人民文学』主編。57年反右派闘争により批判を受け、転向問題や『国際婦人デーに思う』がふたたび俎上(そじょう)に上る。以後、北大荒の農場に下放され、さらに文化大革命中投獄されたが、79年に名誉回復。『牛棚小品』『杜晩香(トウワンシヤン)』にこの間の見聞体験をつづる。中国作家協会副主席を務めた。[北岡正子]
『岡崎俊夫訳『霞村にいた時』(岩波文庫) ▽高畠穣訳『太陽は桑乾河を照らす』(『現代中国文学5』所収・1970・河出書房新社) ▽中島みどり編・訳『丁玲の自伝的回想』(1982・朝日新聞社)』

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世界大百科事典内の丁玲の言及

【中国文学】より

…しかし,こうした左翼文学運動には党員のセクト的傾向が終始つきまとい,いわゆる〈自由人〉や〈第三種人〉を標榜するリベラルな文学者をおしなべて〈敵〉として攻撃・排除したことで,みずから戦線を狭くしていったことも認めなければならない。 この時期はまた,茅盾(ぼうじゆん),老舎,巴金,丁玲,曹禺など,のちの中国文学を担う文学者たちが,つぎつぎと世に出た時代であった。なかでも茅盾《子夜》(1931),巴金《家》(1930),李劼人(りかつじん)《死水微瀾》,老舎《駱駝の祥子》(1937)などは,中国文学が世界に通用する本格的ロマンを持ち始めたことを示した。…

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