三好松洛(読み)ミヨシショウラク

デジタル大辞泉 「三好松洛」の意味・読み・例文・類語

みよし‐しょうらく【三好松洛】

江戸中期の浄瑠璃作者伊予の人とも、大坂の人ともいう。竹本座多くの浄瑠璃に作者として名を連ねている。竹田出雲並木千柳らとの合作に「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」など。生没年未詳。

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精選版 日本国語大辞典 「三好松洛」の意味・読み・例文・類語

みよし‐しょうらく【三好松洛】

  1. 江戸中期の浄瑠璃作者。元文元年(一七三六)から竹本座の作品に関与し、竹田出雲父子、並木千柳らと合作した。晩年は、近松半二の「後見」の位置にあった。作品に「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」など。生没年未詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「三好松洛」の意味・わかりやすい解説

三好松洛 (みよししょうらく)
生没年:1696(元禄9)-?

浄瑠璃作者。もと伊予国松山の僧とも,北の新地の茶屋の主人とも,また医者とも伝える。浮世草子《当世芝居気質》によれば,近松門左衛門門弟。1736年(元文1)から71年(明和8)まで大坂竹本座の浄瑠璃57編に作者として名を連ねた。単独作はなく,立作者として署名したものも2作にすぎないが,竹本座の各時代の名作者,文耕堂,竹田出雲父子,並木千柳(宗輔),近松半二を助け,日本戯曲史に残る名作を著した功績は大きい。作風軽妙洒脱で《仮名手本忠臣蔵》二段目,十段目,《菅原伝授手習鑑》二段目は松洛の作と伝える。《忠臣蔵岡目評判》などに人柄を表す挿話がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三好松洛」の意味・わかりやすい解説

三好松洛
みよししょうらく

生没年未詳。江戸中期の浄瑠璃(じょうるり)作者。伊予(いよ)国(愛媛県)松山の僧とも、大坂の医師とも茶屋の主人とも伝えられ、その伝は明らかでない。1736年(元文1)から71年(明和8)に至る三十余年にわたって竹本座で活躍した。50以上の作にかかわっているが、単独作はなく、立(たて)作者として署名したのは『花衣(はなごろも)いろは縁起』『中元噂掛鯛(うわさのかけだい)』の二作にすぎず、ほかは文耕堂(ぶんこうどう)、竹田出雲(いずも)父子、並木千柳(せんりゅう)、近松半二(はんじ)を助けて書いた。『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』では二段目、『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』では二段目・十段目を担当したといわれ、そのほか『義経(よしつね)千本桜』など多くの名作に関与した。1747年(延享4)に出た評判記『操曲浪花蘆(そうきょくなにわのあし)』では出雲、千柳に次ぐ三番目の位置が与えられており、晩年は浄瑠璃界の長老として遇された。

[山本二郎]

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朝日日本歴史人物事典 「三好松洛」の解説

三好松洛

没年:明和8?(1771)
生年:元禄8(1695)
江戸中期,上方の浄瑠璃作者。もと伊予松山の真言宗願成寺の住職であったが,追放され,のちに大坂・北新堀茶屋の主人となり,初代竹田出雲の門人となったと伝えられる。元文1(1736)年,竹本座で文耕堂と合作したのが最初の作で,以後34年間に50以上の作品に合作者として加わる。「御所桜堀川夜討」や「菅原伝授手習鑑」などの名作では,それぞれ,立作者に次ぐ重要な段を担当したといい,また,「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」にも参加している。宝暦1(1751)年からは近松半二の後見にまわり,明和7(1770)年の戯作『穴意探』では「浪花の古兵」とうわさされている。明和8年の正本「妹背山婦女庭訓」に「後見行年七十六歳」とあり,同年12月の近松半二との合作「桜御殿五十三駅」正本に「後見」として名を載せるのが最後の消息である。<参考文献>前島春三『近代国文学の研究』

(井口洋)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三好松洛」の意味・わかりやすい解説

三好松洛
みよししょうらく

江戸時代中期の浄瑠璃作者。松山の僧ともいう。1世竹田出雲に師事,署名作はないものの,早くから浄瑠璃作成にたずさわったと考えられる。元文1 (1736) ~明和7 (70) 年竹本座の作者として活躍,以後は後見。文耕堂,1,2世竹田出雲,並木千柳 (宗輔) ,近松半二らと合作。『菅原伝授手習鑑』 (46) では2段目「道明寺」を執筆したといわれる。また,『義経千本桜』 (47) ,『仮名手本忠臣蔵』 (48) ほか浄瑠璃史上に残る名作に関与した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三好松洛」の解説

三好松洛 みよし-しょうらく

?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)作者。
もと伊予(いよ)松山の僧,大坂の北新堀江の茶屋主人などとつたえられる。大坂竹本座の作者となり,竹田出雲(いずも),並木千柳,近松半二らと合作,名作の数々に名をつらねた。明和8年(1771)の「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」に「後見行年七十六歳」とあり,まもなく没したとみられる。

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世界大百科事典(旧版)内の三好松洛の言及

【近江源氏先陣館】より

…9段。近松半二・八民平七・松田才二・三好松洛・竹田新松・近松東南・竹本三郎兵衛の合作。1769年(明和6)12月大坂竹本座初演。…

【小野道風青柳硯】より

…5段。竹田出雲・吉田冠子・中邑閏助・近松半二・三好松洛の合作。1754年(宝暦4)10月大坂竹本座初演。…

【敵討襤褸錦】より

…3巻。文耕堂三好松洛の合作。1736年(元文1)5月大坂竹本座初演。…

【仮名手本忠臣蔵】より

…時代物。2世竹田出雲三好松洛並木宗輔(千柳)作。1748年(寛延1)8月,大坂竹本座初演。…

【源平布引滝】より

…5段。正本の作者署名は並木千柳(並木宗輔),三好松洛。番付には作者竹田外記の名も加わる。…

【恋女房染分手綱】より

…時代物。吉田冠子,三好松洛合作。13段。…

【御所桜堀川夜討】より

…5段。文耕堂三好松洛による合作。1737年(元文2)1月大坂竹本座で初演。…

【新薄雪物語】より

…3段。文耕堂三好松洛,小川半平,竹田小出雲の合作。1741年(寛保1)5月大坂竹本座で初演。…

【菅原伝授手習鑑】より

…5段。竹田出雲,並木千柳(並木宗輔),三好松洛,竹田小出雲合作。1746年(延享3)8月大坂竹本座初演。…

【関取千両幟】より

…9段。近松半二三好松洛,竹田文吉,竹田小出雲,八民平七,竹本三郎兵衛合作。1767年(明和4)8月大坂竹本座初演。…

【太平記忠臣講釈】より

…人形浄瑠璃。近松半二三好松洛,竹田文吉,竹田小出雲,筑田平七,竹本三郎兵衛作。1766年(明和3)10月大坂竹本座初演。…

【夏祭浪花鑑】より

…9段。並木千柳(並木宗輔),三好松洛,竹田小出雲合作。1745年(延享2)7月大坂竹本座初演。…

【ひらかな盛衰記】より

…5段。文耕堂三好松洛,浅田可啓,竹田小出雲,千前軒(竹田出雲)による合作。1739年(元文4)4月大坂竹本座初演。…

【双蝶々曲輪日記】より

…1749年(寛延2)7月大坂竹本座初演。竹田出雲三好松洛,並木千柳(並木宗輔)合作。《摂陽奇観》にある角力取の濡れ紙長五郎が,武士を殺害した罪で捕らわれた事件に拠っているらしい。…

【由良湊千軒長者】より

…通称《山荘太夫》。竹田小出雲(3世竹田出雲),近松半二三好松洛の合作。1761年(宝暦11)5月大坂竹本座初演。…

【義経千本桜】より

…5段。2世竹田出雲三好松洛,並木千柳(並木宗輔)作。1747年(延享4)11月大坂竹本座初演。…

※「三好松洛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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