三輪田真佐子(読み)みわたまさこ

日本大百科全書(ニッポニカ)「三輪田真佐子」の解説

三輪田真佐子
みわたまさこ
(1843―1927)

女子教育者。天保(てんぽう)14年伊予国松山藩儒宇田淵(栗園(りつえん)、?―1901)の子として生まれる。1866年(慶応2)岩倉具視(ともみ)の内殿侍講となり、1869年(明治2)27歳で幕末に尊攘派(そんじょうは)の志士だった三輪田元綱(1828―1879)と結婚。1879年夫と死別後、松山で明倫学舎を開き、松山師範学校教師を務める。1887年上京して翠松(すいしょう)学舎を設立。東京音楽学校、日本女子大学校で教鞭(きょうべん)をとる。1902年(明治35)翠松学舎を発展させて三輪田高等女学校を創設。その女子教育思想は、儒教的女徳論と明治的国家主義との結合した良妻賢母主義であった。愛国婦人会などにも関与。著書に『女子の本分』(1894)、『女子処世論』(1896)、『女子教育要言』(1897)などがある。

[小股憲明]

『『梅花の賦――三輪田真佐子伝』(1977・三輪田真佐子先生五十年祭記念出版会)』

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デジタル大辞泉「三輪田真佐子」の解説

みわた‐まさこ【三輪田真佐子】

[1843~1927]教育家。京都の生まれ。松山に明倫学舎、東京神田に翠松学舎を設立。明治35年(1902)翠松学舎を発展させ、三輪田高等女学校を創設。

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朝日日本歴史人物事典「三輪田真佐子」の解説

三輪田真佐子

没年:昭和2.5.3(1927)
生年:天保14.1.1(1843.1.30)
明治期の女子教育者。幼名梅野。京都の儒学者中条侍郎の養女。梁川星巌に師事。息子のない両親の嘆きを聞き女性でも努力すれば学者になれると勉学に励み幼時より漢学の才を発揮。26歳で三輪田元綱と結婚,2男2女をもうける。夫の死後,松山に家塾明倫学舎(1880),東京神田に翠松学舎(1887),三輪田女学校(1902)を開設。その教育観は当時体制派教育思想としてポピュラーであった「国家主義的良妻賢母」(儒教的倫理観,性別役割観に国家的価値を付与)に基づく。墓所は東京青山。雑誌『女鑑』に多数の論文を掲戴した。<参考文献>深谷昌志『増補良妻賢母主義の教育』

(影山礼子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus「三輪田真佐子」の解説

三輪田真佐子 みわだ-まさこ

1843-1927 明治-大正時代の教育者。
天保(てんぽう)14年1月1日生まれ。京都の儒医宇田栗園(りつえん)の娘。明治2年三輪田元綱と結婚,12年死別。13年松山で明倫学舎,20年上京して翠松学舎をひらき漢学をおしえる。35年三輪田女学校(現三輪田学園)を創立,良妻賢母教育をすすめた。昭和2年5月3日死去。85歳。著作に「女子の本分」など。

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精選版 日本国語大辞典「三輪田真佐子」の解説

みわた‐まさこ【三輪田真佐子】

教育家。京都出身。はじめ岩倉具視の内殿侍講を勤める。夫三輪田元綱の没後、松山で明倫学舎を開いた後、上京して翠松学舎を開設。日本女子大学設立にも尽力した。明治三五年(一九〇二)には三輪田高等女学校を創設、校長となった。天保一四~昭和二年(一八四三‐一九二七

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世界大百科事典 第2版「三輪田真佐子」の解説

みわたまさこ【三輪田真佐子】

1843‐1927(天保14‐昭和2)
女子教育者。国家主義的良妻賢母主義の立場に立つ。松山藩の儒者宇田淵(栗園)の娘で,漢学,詩文,和歌に長じていた。1869年(明治2)三輪田元綱と結婚したが,夫と死別後,87年に上京し翠松学舎を開いた。1902年には三輪田女学校(三輪田学園女子中・高校の前身)を創設,〈未来の海国児童軍国児童の母〉養成に本格的にのりだす。愛国婦人会発起人・処女会中央部理事として婦人の国家的自覚をめざす社会教育活動にも活躍した。

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