中世神道の一派。中世には単に〈三輪流〉と呼ばれることが多いが,後世〈三輪流神道〉とも呼ばれた。慶円(?-1223)に始まるとされる。慶円の伝記は《三輪上人行状記》(1255成立)や《元亨釈書》にみえるが,神道の一派を起こした点には言及されていない。しかしそれらには,慶円の験者あるいは聖(ひじり)としての性格がうかがえる。例えば,石清水(いわしみず)八幡宮参詣の途次,女房が葬送するのを助け,そのため神の賞翫にあずかったとか,室生参籠中に善女竜王に即身成仏の印信を授けた,などの説話がそれである。前者の葬送に関する説話は,《八幡愚童訓》や《沙石集》などにもみえるが,神明は慈悲を貴び死穢を忌まないとする中世仏教者の神道観を示すものと考えられ,後者の説話は,慶円と三輪明神とがたがいに神道灌頂を授けあったとする後代の三輪流縁起に展開する。慶円の門流は三輪社(大神(おおみわ)神社)の平等寺別所(のち別当寺)によったが,旧来の三輪神宮寺も叡尊が再興して大御輪寺(若宮別当寺)と名称が改められた。1318年(文保2)には叡尊系の人々によって《三輪大明神縁起》が作成される。それには密教による三輪神の解釈が示され,伊勢天照大神や日吉山王と同体であることが説かれている。それ以前から比叡山の日吉山王の縁起では,大宮権現は三輪神と同体であると説かれていたが,三輪流神道は,三輪縁起を中心にすえながら,山王神道や東寺・醍醐寺の三宝院流,高野の中院流などにおける神道説を総合して形成されたものと考えられ,いわゆる両部神道の末期の形態である。その体系は神道灌頂を核とした諸大事の集成で,《日本書紀》神代巻を神典とする。その形成は,血脈類を比べると鎌倉末期の覚乗(《天照大神口決》の著者)前後に求められよう。その伝流は,三輪社を中心に室生寺を介して伊勢神宮周辺と深い交流がうかがわれ,伝書類が平等寺のほか高野山と長谷寺に多く伝来し,とくに長谷寺では近年まで神道灌頂が相伝されていた。
執筆者:阿部 泰郎
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奈良県三輪山麓(さんろく)の大神(おおみわ)神社の縁起(えんぎ)を基として形成された神道の一派。真言(しんごん)宗系の両部(りょうぶ)神道の一つで三輪流神道ともいう。鎌倉初期に三輪上人(しょうにん)の称がある慶円が三輪明神から啓示を受けて伝えたという。大日如来(だいにちにょらい)を本地とし、その垂迹(すいじゃく)が天上では天照大神(あまてらすおおみかみ)、伊勢(いせ)では皇太神、三輪では三輪大明神であり、この三神は三身一体であるとする。このように、天照大神と比肩のうえに三輪大明神こそが諸社諸神中もっとも優れた神であることを説く。密教の秘伝奥義も多く加え、その功徳も詳細に説かれ、民間にも広く普及し、三輪信仰の盛名を馳(は)せた。神仏習合思想の一典型の趣(おもむき)も示している。資料としては『三輪大明神縁起』(『続群書類従神祇(じんぎ)部』所収)がもっとも端的、ほかに『三輪叢書(そうしょ)』(五巻)、『大神神社史料』(10巻)がもっとも新しく詳細である。
[小笠原春夫]
『大神神社史料編集委員会編『三輪流神道の研究』(1984・名著出版)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…両部神道の理論書として最も古いものは1318年(文保2)成立の《三輪大明神縁起》で,西大寺の叡尊の著といわれている。叡尊は大御輪寺を中興して1285年(弘安8)に三輪寺と改めたが,これ以前から三輪流神祇灌頂が行われており,三輪神道が両部神道の中で最も古いとされている。しかし1283年成立の《沙石集》によれば,〈内宮外宮ハ両部ノ大日トコソ習伝ヘテ侍ベレ〉とか,〈内宮ハ胎蔵ノ大日〉〈外宮ハ金剛界ノ大日〉と説いているから,伊勢神道と両部神道の結合が比較的早かったことを物語っている。…
※「三輪神道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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