帯方郡(読み)タイホウグン

百科事典マイペディアの解説

帯方郡【たいほうぐん】

古代朝鮮の西海岸中央部に置かれた中国の植民地。現在のソウル付近が中心。3世紀初め,遼東の公孫康が楽浪郡(らくろうぐん)の南部をさいて新設し,隣接する韓・【わい】族に備えた。238年魏の領有に帰し晋(西晋)が継承。4世紀初め韓・【わい】族の支配下に入り,やがて百済(くだら)がこの地におこる。

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世界大百科事典 第2版の解説

たいほうぐん【帯方郡 Dài fāng jùn】

朝鮮半島の西岸中央部(ほぼ現在の黄海道方面)に設立された中国の郡名。漢の武帝は衛氏朝鮮を滅ぼして,前108年その故地に楽浪郡(郡の中心は朝鮮県)をおいたが,後漢の末ころから遼東地方の太守として勢力の強かった豪族公孫度は,三国の魏(曹魏)の時代になると漢末中国政権の動乱に乗じて独立的存在となった。公孫度の死後,その子,公孫康はますます独立的傾向を強め,夫余高句麗を威圧し,さらに南下して中国の前進基地ともいうべき楽浪郡を支配下においた。

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大辞林 第三版の解説

たいほうぐん【帯方郡】

朝鮮半島中部西岸に、後漢末から313年まで約110年間置かれた中国の郡名。楽浪郡を併有していた遼東太守公孫度の子、公孫康が郡の南部を分割して設置。邪馬台国の女王卑弥呼との通交で知られる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

帯方郡
たいほうぐん

古代朝鮮に置かれた中国の郡。後漢(ごかん)末の内乱を契機に楽浪(らくろう)郡は急激に衰え、3世紀初頭、遼東(りょうとう)の公孫(こうそん)氏政権はついに楽浪郡を支配し、屯有県以南を分ち郡を設置した。これが帯方郡であり、その目的は、南に隣接する韓族、(わい)族への対処であったと考えられる。楽浪郡とともにその後、魏(ぎ)、晋(しん)に引き継がれたが、313年に楽浪郡は高句麗(こうくり)に滅ぼされ、ついで帯方郡も韓族、族によって滅ぼされた。郡治の位置や境域は明確でなく、現在の黄海道から京畿(けいき)道の北部地方がその境域と推定される。また黄海道鳳山(ほうざん)郡文井面(ぶんせいめん)石城里からは「帯方太守張撫夷(ちょうぶい)」の銘をもつ(せん)(焼成れんが)が出土しており、ここを郡治址(し)とみなす説もある。漢代には楽浪郡に朝貢していた韓、、倭(わ)の諸種族は、帯方郡設置後はここに朝貢した。239年、倭の女王卑弥呼(ひみこ)の入貢に対し、魏は帯方太守に付して金印を与えたことは有名である。楽浪郡とともに東アジア諸国に果たした役割は大きい。[李 成 市]

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