古代朝鮮半島の南部に居住した韓族の名称。3世紀初めころの朝鮮半島南部の状態を最も詳しく伝える《三国志》魏志東夷列伝の韓の条によると,当時韓族は3種に分かれ,その一つを馬韓と称したという。馬韓は半島南西部にあり,およそ大小50余国から構成され,一種の部族連合的段階にあったものとみられている。馬韓全体の統治者の存否については史料により異論がある。各部落の首長はそれぞれ大小によって臣智とか邑借と自称し,その官爵も楽浪,帯方の太守を介して中国風の称号をうけていたことが記録されている。宗教は農耕儀礼に関係の深いシャマニズムの一種と思われる。5月の播種のとき,10月の収穫のときには,部落民が鐸舞に似た舞踊を行って天神を祭ったという。また〈蘇塗(そと)〉というアジール的な存在があったことが記されているが,その解釈については諸家に異論がある。のちの朝鮮古代三国の一つ百済(くだら)は,馬韓諸国の一つ伯済国が中核となって4世紀半ばころ成立したものといわれている。
→百済 →三韓
執筆者:村山 正雄
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古代朝鮮の半島南西地域、およびそこに居住した韓族をさす。現在の京畿(けいき)道南部、忠清南・北道、全羅南・北道地方にあたる。三韓のなかでもっとも大きく、3世紀中ごろには50余の小国からなっていた。辰韓(しんかん)、弁辰(べんしん)(弁韓ともいう)の諸国とは言語、習俗をやや異にしていたと伝えられる。早くから楽浪(らくろう)、帯方(たいほう)郡との通交関係があり、臣智(しんち)、邑借(ゆうしゃく)とよばれた小国の首長たちには、印綬、衣幘(いさく)(衣服と頭巾(ずきん))が与えられていた。やがて諸国の個別的な二郡への貢献から遠く中国、東晋(とうしん)への朝貢へと通交形態が変化するが、そこに馬韓諸国の政治的統合に向かう過程がみてとれる。そして4世紀中ごろには、50余国中の伯済(はくさい)国を中核に統合されて百済(くだら)国となり、新たな国家段階に入った。
[李 成 市]
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古代朝鮮の種族名。その居住地域。朝鮮半島南西部の京畿道南部と忠清道・全羅道のほぼ全域。辰韓・弁韓とともに三韓の一つ。「魏志」韓伝によれば,3世紀頃には50余の小国からなり,総戸数は10余万戸。各国に臣智(しんち)・邑借(ゆうしゃく)という首長がいたが,月支国の辰王は三韓全体に君臨したという。魏の時代は帯方郡に服したが,しだいに伯済(はくさい)国が有力となり,4世紀初めに帯方郡の一部を占拠し,さらに近隣諸国を統合して百済(くだら)が成立した。
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古代朝鮮半島の三韓の一つ。忠清・全羅両道に居住した韓族の総称。楽浪郡,帯方郡に朝貢し,3世紀頃56国に分かれていたが,350年頃伯斉(はくさい)国を中心に馬韓北部が統一され,百済国が出現した。
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…これに反し半島南部の方面にはその統制も十分に行きわたらず,この地域の韓族は各地に分裂割拠し,その首長(長帥)たちは臣智とか邑借と自称し,また楽浪,帯方の太守を介して帰義侯とか中郎将などという中国式の官名をうけ一種の間接支配下にあったようである。《三国志》魏志の東夷伝はこれら韓族について,最も古くかつ詳細な記録であるが,それによると彼らは3種に分かれ,東方に馬韓余国,西方に辰韓国,辰韓に雑居して弁辰(弁韓ないし弁辰韓ともいう)12国があったというが,これらの国の実体も国数もきわめてあいまいである。《三国志》魏志東夷伝の記述ではこれら3種を統合する最高権力者の君王ともいうべきものは存在せず,各部族は雑居しており,とくに弁辰(弁韓)と辰韓の区別は不明である。…
※「馬韓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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