上原六四郎(読み)うえはらろくしろう

精選版 日本国語大辞典 「上原六四郎」の意味・読み・例文・類語

うえはら‐ろくしろう【上原六四郎】

  1. 音楽理論家、教育家尺八名手としても知られる。邦楽音階を研究して「俗楽旋律考」を著わす。嘉永元~大正二年(一八四八‐一九一三

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「上原六四郎」の解説

上原 六四郎
ウエハラ ロクシロウ


職業
音楽理論家 物理学者 尺八奏者

肩書
東京高師手工専修科教授

旧名・旧姓
重之

別名
号=虚洞

生年月日
嘉永1年 12月

出生地
江戸・下谷長谷町(東京都)

学歴
開成学校

経歴
陸士、高師の教官を務めた。また音楽取調掛を経て、明治26〜31年東京音楽学校で音響学講義、一時主事を務める。32年東京高師手工専修科教授として工作を教え、東京美術学校で絵画を教えた。また尺八を2代荒木古童に学び、名手といわれた。当時の尺八譜を占符形式に改め琴古流楽譜を創案西南戦争軽気球を試作した逸話もある。著書に邦楽の音階を科学的に研究した最初の書として知られる「俗楽旋律考」がある。

没年月日
大正2年 4月1日 (1913年)

伝記
下谷長者町ありし頃音楽理論を考える東京芸術大学百年史〈東京音楽学校篇 第1巻〉 菅山 修二 著東川 清一 著東京芸術大学百年史編集委員会 編(発行元 文芸社音楽之友社音楽之友社 ’01’87’87発行)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上原六四郎」の意味・わかりやすい解説

上原六四郎
うえはらろくしろう

[生]嘉永1(1848).12. 江戸
[没]1913.4.1. 東京
教育家,尺八家。旧名重之。尺八の芸号虚洞。岩槻藩士の子として生れ,明治2 (1869) 年開成所でフランス語を学ぶ。 1875年陸軍士官学校出仕。 77年西南戦争に際して軽気球を製作。 82年音楽取調掛に出仕,その後身である東京音楽学校で音響学を講義。 93年同校が高等師範付属音楽学校となるとともにその主事となり,98年まで校長事務を扱う。東京高等師範学校の手工科も兼担。琴古流尺八を荒木古童 (竹翁) に学び,尺八譜を改良,現行の点譜を創案。 95年には初めて日本音楽の音階を論じた『俗楽旋律考』を著わした。

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朝日日本歴史人物事典 「上原六四郎」の解説

上原六四郎

没年:大正2.4.1(1913)
生年:嘉永1.12(1848)
明治期の音楽理論家,物理学者。旧名は重之。江戸下谷長者町生まれで,武州岩槻藩(埼玉県)藩士。開成学校(東大の前身)に学び,陸軍士官学校,東京高等師範学校などで教官を務め,東京音楽学校,東京美術学校など多くの学校で教鞭をとった。手工(工作)教育の先駆者としても知られる。尺八をよくし2代目荒木古童に師事,虚洞と号した。それまでの尺八譜を改良し,尺八楽の発展にも大いに貢献している。明治28(1895)年刊行の著書『俗楽旋律考』(復刊,1927)は,日本伝統音楽の音階研究における最初の科学的業績として名高い。

(瀬山徹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「上原六四郎」の意味・わかりやすい解説

上原六四郎
うえはらろくしろう
(1848―1913)

明治の音楽理論家、物理学者、尺八家、手工(工作)教育者。江戸生まれ。開成学校(東京大学の前身)に学び、陸軍士官学校、音楽取調掛、東京音楽学校、高等師範学校等の教官を歴任。軽気球の製作や手工教育の先駆者としても知られるが、音楽関係の功績がもっとも著しい。尺八家2世古童(こどう)(竹翁)の門人で、虚洞(きょどう)と号し、従来の尺八譜の改良である点符式記譜法を創案、リズム表示を可能にした。音楽理論面では、日本の音階に関する最初の科学的研究書『俗楽旋律考』(1892著、1895刊。1927復刊)の著作で有名。

[月溪恒子]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上原六四郎」の解説

上原六四郎 うえはら-ろくしろう

1848-1913 明治時代の音楽理論家,物理学者。
嘉永(かえい)元年12月生まれ。開成学校にまなび,陸軍士官学校教官などをへて,明治15年から音楽取調掛,東京音楽学校(現東京芸大)で音響学をおしえる。尺八を初代荒木古童(竹翁)にまなび,尺八譜を改良。軽気球の製作,手工(工作)教育でも知られた。大正2年4月1日死去。66歳。江戸出身。号は虚洞。著作に「俗楽旋律考」。

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世界大百科事典(旧版)内の上原六四郎の言及

【田舎節】より

…上原六四郎(1848‐1913)が《俗楽旋律考》(1895)の中で命名した日本の音階の名称の一つ(図)。上原は日本の音楽を都会の音楽(義太夫節や長唄など近世邦楽)と田舎の音楽(民謡など)に分け,それぞれ異なった音階を持つとした。…

【音階】より

…また江戸時代以後の代表的ジャンルである三味線音楽や箏曲,尺八楽,琵琶楽などでは,音階理論に関係の深い理論用語はもっているが,近代西洋理論の音階に相当する理論的概念はほとんど見あたらない。17世紀末(元禄時代)の和算家である中根元圭のように,雅楽の音階と俗楽(当時の三味線や箏の音楽)の音階との関係を真剣に考えた理論的研究もあったが,日本の音楽の全般的視野に立って,その基本音階を考えたのは,明治中期の上原六四郎《俗楽旋律考》が最初である。そののち多くの研究家が音階を論じ,新しい体系化を試みたが,結局伝統的な雅楽の音階論を出発点とするという点において,大部分のものは共通している。…

【俗楽旋律考】より

…音楽理論書。物理学者,手工(工作)教育家で尺八家でもあった上原六四郎(虚洞,1848‐1913)の著。上原は,西南戦争の際に軽気球を製作・試乗したことでも知られるが,1882年音楽取調掛に出仕,その後身である東京音楽学校(現,東京芸術大学音楽学部)で音響学を講じた。…

【都節】より

…上原六四郎(1848‐1913)が《俗楽旋律考》(1895)の中で命名した日本の音階の名称の一つ。江戸時代に都会で発生し流行した芸術音楽(義太夫や長唄など)に多くみられる,半音を含む音階(陰旋法)で,民謡などの田舎節(いなかぶし)と名づけられた半音を含まない音階(陽旋法)と対立する。…

※「上原六四郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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