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上原勇作 うえはらゆうさく

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

上原勇作
うえはらゆうさく

[生]安政3(1856).11.9. 宮崎
[没]1933.11.8. 東京
陸軍軍人。陸軍士官学校卒業。日清戦争では第1軍参謀,日露戦争では第4軍参謀長として出征。 1912年第2次西園寺公望内閣陸軍大臣に就任,二個師団増設を要求して内閣を倒壊させ,第1次憲政擁護運動の起因をつくった。

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デジタル大辞泉の解説

うえはら‐ゆうさく〔うへはら‐〕【上原勇作】

[1856~1933]元帥・陸軍大将。宮崎の生まれ。第二次西園寺(さいおんじ)内閣の陸軍大臣として、2個師団増設を強硬に要求して単独辞職、大正政変のきっかけをつくった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

上原勇作 うえはら-ゆうさく

1856-1933 明治-昭和時代前期の軍人。
安政3年11月9日生まれ。明治14年フランスに留学。帰国後参謀本部員などをへて,34年工兵監となる。日露戦争で第四軍参謀長。45年第2次西園寺内閣の陸相に就任。2個師団増設を要求して単独辞職し,大正政変のきっかけをつくった。のち教育総監,参謀総長。陸軍大将,元帥。陸軍の薩摩(さつま)閥の長老として重きをなした。昭和8年11月8日死去。78歳。日向(ひゅうが)(宮崎県)出身。陸軍士官学校卒。旧姓は竜岡。

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世界大百科事典 第2版の解説

うえはらゆうさく【上原勇作】

1856‐1933(安政3‐昭和8)
陸軍軍人。元帥。子爵。日向藩出身。1879年陸軍士官学校(旧3期)卒後,工兵少尉となる。81‐85年フランスに留学し工兵の新技術を学ぶ。陸士教官,参謀本部員,砲工学校長などを経て,1912年第2次西園寺公望内閣の陸相となり,2個師団増設を強硬に主張したが,西園寺の拒否にあって単独辞職をして内閣を倒壊させ大正政変のきっかけとなる(二個師団増設問題)。その後,教育総監,シベリア出兵時の参謀総長などを歴任。

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大辞林 第三版の解説

うえはらゆうさく【上原勇作】

1856~1933) 陸軍大将・元帥。教育総監。日向ひゆうがの人。第二次西園寺内閣の陸相となったが、1912年(大正1)二個師団増設を主張して単独辞任し、同内閣を崩壊させた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

上原勇作
うえはらゆうさく
(1856―1933)

明治から昭和時代の陸軍軍人。安政(あんせい)3年11月9日、日向国(ひゅうがのくに)都城(みやこのじょう)(宮崎県都城市)の鹿児島藩の支藩藩士竜岡資弦の次男に生まれ、のち同藩士上原家を継ぐ。野津道貫(のづみちつら)の女婿(じょせい)。1879年(明治12)陸軍士官学校を卒業、1881~1885年フランスに留学し工兵術を修める。帰国後参謀本部員などを経て、1901年(明治34)工兵監となる。日露戦争には第四軍参謀長として参加。男爵を授けられる。1912年(大正1)第二次西園寺公望(さいおんじきんもち)内閣の陸軍大臣となり、2個師団増設を主張し、内閣の緊縮政策と衝突、単独辞任して内閣を倒し、大正政変のきっかけをつくった。その後第三師団長、教育総監を経て1915年大将に進み、同年から1923年まで参謀総長に在任。1921年元帥に列せられ子爵となる。長州閥に対抗して薩摩(さつま)、九州出身者を中心に後の皇道派につながる巨大な勢力を育成した。昭和8年11月8日死去。[由井正臣]
『元帥上原勇作伝記刊行会編・刊『元帥上原勇作伝』2巻(1937) ▽上原勇作関係文書研究会編『上原勇作関係文書』(1976・東京大学出版会)』

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世界大百科事典内の上原勇作の言及

【軍部】より

…この軍部大臣現役武官制は,1912年第2次西園寺公望内閣のときに早速効果を発揮した。2個師団増設を要求した上原勇作陸相は単独辞職して内閣を倒し,大正政変の原因をつくったのである。第1次護憲運動は軍閥を攻撃し,武官制の廃止を要求した。…

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