日本歴史地名大系 「上大野村」の解説
上大野村
かみおおのむら
宮戸川上流台地の
中世には
上大野村
かみおおのむら
東は
南の下大野村とともに中世の大野庄の遺称地。同庄地頭職は元徳二年(一三三〇)一〇月二八日の源義頼譲状(弘文荘待賈文書)に「義頼重代相伝之所領」の一としてみえ、このとき義頼から嫡子次郎四郎義雄に譲られた。ついで「玉英記抄」(仏事)の暦応三年(一三四〇)五月二五日に「東福寺長老士曇和尚、引率僧衆来、有観音懺法、毎月事也、以長門国大野庄寄進当寺、僧衆抃悦之間、作詩軸送之」とある。この大野庄については、文明一〇年(一四七八)八月二三日付の大内政弘の宛行状(「閥閲録」所収末武与五郎家文書)に
とあり、大内氏の掌握するところとなっていたことが知られ、中世末期には
上大野村
かみおおのむら
上大野村
かみおおのむら
上大野村
かみおおのむら
上大野村
かみおおのむら
上大野村
かみおおのむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報