日本歴史地名大系 「下大野村」の解説
下大野村
しもおおのむら
下大野村
しもおおのむら
下大野村
しもおおのむら
下大野村
しもおおのむら
下大野村
しもおおのむら
下大野村
しもおおのむら
[現在地名]常澄村下大野
那珂川の右岸にあり、東は
「常陸大掾伝記」によると石川家幹の八男光幹が大野氏の祖として大野に住み、鹿島大使役記抄記(石川氏文書)の正和元年(一三一二)に大野経幹、永和元年(一三七五)に大野入道法本の名がみえる。のち江戸氏・佐竹氏の支配を経て、近世は水戸藩領となる。応安元年(一三六八)の大野郷住人兼家売券写(吉田神社文書)に「常州国大野郷」とみえ、「新編常陸国誌」の上大野村西の項には「古ハ上中下大野村合テ一郷ニテ、(中略)又石川氏康暦二年ノ文書ニ、大のの郷トアリ、後分レテ三村トナリ」とある。寛永一八年(一六四一)の検地のとき三村に分れた。
下大野村
しもおおのむら
下大野村
しもおおのむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報