日本歴史地名大系 「上淀廃寺」の解説
上淀廃寺
かみよどはいじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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鳥取県米子(よなご)市淀江町福岡(よどえちょうふくおか)にある古代寺院跡。1991年(平成3)から始まった史跡公園として整備するための発掘調査で、伽藍(がらん)のようすが判明した。西へ延びる丘陵の南斜面を利用して建立されている。西側に金堂、東側に南北1列に建てられた3基の塔、南側の中門と伽藍を取り囲む回廊、金堂の南に講堂、塔の北側に多数の掘立て柱建物や柵が発掘されている。今後の調査で、1寺院の中枢建物と付属建物の全体像が把握できる稀有(けう)な例となるであろう。1996年に「上淀廃寺跡」として国の史跡に指定された。
上淀廃寺を特色づける3塔1金堂の配置は「上淀廃寺式」とよぶべき他に例のない伽藍配置である。南・中塔は瓦積(かわらづみ)化粧の基壇をもつが、北塔には基壇がみられず、計画倒れか土石流で早く基壇を削平されたかのいずれかと考えられた。3塔の塔心礎はともに柱穴を穿(うが)つが、中塔はさらにその中心に有蓋舎利孔(ゆうがいしゃりこう)をつくっている。相互の建物が接し合いすぎることと相まって注目されている。
塔、金堂からは多数の塑像が発見されている。金堂では本尊・脇侍(わきじ)・四天王像をはじめ多数の塑像があり、本来の金堂の像以外、他の建物の像が持ち込まれている可能性が検討されている。塔では塔本塑像(とうほんそぞう)とよぶべき小像群が発掘されている。一方、金堂の壁面には壁画が描かれていたようで多量の壁画片が発見され、法隆寺金堂壁画とならぶ重要な資料となった。尊像の周囲に自然の添景物を配した変相図と考えられる壁画や、飛天を大きく描いた壁画が復原されている。また、丸瓦に「癸未(みずのとひつじ)年」(西暦683年)と刻書されたものがあり、寺の創建年代がおさえられた。本寺は10世紀中葉、焼亡したものと考えられている。
3塔1金堂の類例のない伽藍配置、堂内塑像、堂内壁画の判明する寺として、また、建立・廃絶時期のわかる寺として、その資料価値はきわめて高いものがある。法隆寺壁画とならぶ壁画片は、現在、画題、画材、色彩、彩色技術の復原が進む一方、その永久保存へ向けての保存処理作業が進展している。
[水野正好]
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