〈したさくにん〉ともいう。田畠の直接耕作者で,その土地の上級得分収取権者である本所・名主・作人(作職所有者)に対し,それぞれ年貢・加地子(名主得分)・作徳(作職得分)を負担する立場にあった農民のこと。彼がその田畠に対して持つ関係は下作職(げさくしき)と表現され,通常これはすぐ上級の所職である作職の所有者からあてがわれるもので,下作人はこれに対して地子の上納と,それを怠った場合はいつ所職を取り上げられてもいたしかたない旨を誓約した下作職請文(うけぶみ)を提出した。1492年(明応1)の弥三郎下作職請文は,彼が真光院領の下地1反の下作を請け負った際のものであるが,これには〈右くだんの御下地は,望み申すにつき候てあづけ下さるる処に候。よって御本所の御年貢並びに御公事已下,類地のごとくたるべく候。名主・作職の御年貢は,勘右衛門方の十升の升にて九斗(名主分六斗,作分三斗)宛,干水損なく納め申すべく候〉と記されている(香取文書纂)。このように同一地に関して本家・領家職から下作職に至るまでの各種の所職(得分権)が重層的に存在する関係は,中世においてもとくに農業生産力が高度に発達し,余剰分が増大した結果,いわゆる職(しき)の分化が顕著に進行した室町・戦国期の畿内地域を中心に見られるものである。
しかし下作あるいは下作職は,当時必ずしも作人あるいは作職の下に位置づけて用いられた用語とのみ限定できない面があり,所職の序列からいえば作職所有者(作人)が下作人といわれる例がしばしばある。この場合,一般に地主的存在の下で耕作を請け負うものを下作人と称したと解すべきで,この意味の下作人はより広範に存在した。1587年(天正15)10月20日の若狭国三方郡世久見浦あての浅野長政掟書に〈おとな百姓として下作ニ申付,作あいを取候義無用ニ候。今まて作仕候百姓直納に可仕事〉(渡辺文書)とあるように,近世初期の検地の過程で,中間得分収取権的所職が否定されて,農民の耕作権の公認とその年貢負担関係の対領主一本化が進行することにより,中世的な下作人は消滅した。近世の下作は小作の別称である。
執筆者:須磨 千穎
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…田畠の直接耕作者で,その土地の上級得分収取権者である本所・名主・作人(作職所有者)に対し,それぞれ年貢・加地子(名主得分)・作徳(作職得分)を負担する立場にあった農民のこと。彼がその田畠に対して持つ関係は下作職(げさくしき)と表現され,通常これはすぐ上級の所職である作職の所有者からあてがわれるもので,下作人はこれに対して地子の上納と,それを怠った場合はいつ所職を取り上げられてもいたしかたない旨を誓約した下作職請文(うけぶみ)を提出した。1492年(明応1)の弥三郎下作職請文は,彼が真光院領の下地1反の下作を請け負った際のものであるが,これには〈右くだんの御下地は,望み申すにつき候てあづけ下さるる処に候。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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