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康尚 こうしょう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

康尚
こうしょう

平安時代中期の仏師。定朝の父または師。長徳4 (998) 年土佐講師,寛仁2 (1018) 年近江講師となる。文献上の明確な造像は正暦2 (991) 年祇陀林寺の『丈六釈迦像』が最初である。長保2 (1000) 年宮中寿殿の『聖観音』『梵天』『帝釈天』,同4年御八講本尊,寛弘2 (05) 年『十一面観音』『不動明王』など宮中の仏像の制作を行い,一方,同1年藤原行成の『四天王像』,同5年藤原道長の『白檀薬師像』などを制作した。

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デジタル大辞泉の解説

こうしょう〔カウシヤウ〕【康尚】

平安中期の仏師。定朝(じょうちょう)の父。子の定朝をはじめとする多くの弟子を抱えて仏所を形成、摂関家の造寺発願に際して造仏に従事し、仏師職の祖といわれる。今日、確証ある遺作は伝存しないが、東福寺同聚院の不動明王坐像はその作に擬せられる。生没年未詳。

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百科事典マイペディアの解説

康尚【こうじょう】

平安中期の仏師。生没年不詳。定朝の父。10世紀末からその造像の事跡が知られ,藤原道長藤原行成などに認められて重用された。1020年道長のために法成寺無量寿院九体阿弥陀を造り,まもなく没した。
→関連項目仏師

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

康尚 こうじょう

?-? 平安時代中期の仏師。
藤原道長や藤原行成(ゆきなり)に重用され,寛仁(かんにん)4年(1020)の定朝(じょうちょう)と共作の法成寺(ほうじょうじ)無量寿院の九体阿弥陀像など,おおくの仏像をつくった。寄せ木造りの開発者であり,定朝の父とも師ともいわれる。名は康成ともかく。

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朝日日本歴史人物事典の解説

康尚

生年:生没年不詳
平安中期の仏師。定朝の父または師と伝えられる。康成(浄,常,昭,聖,昌),広尚,好常とも書く。藤原道長や行成に重用された平安中期屈指の仏師で,宮廷,摂関家をはじめ比叡山高野山関係の造像にも携わった。正暦2(991)年祇陀林寺の丈六釈迦像の造立で初めて記録に現れ,長徳4(998)年には土佐講師に任じられ,また寛仁2(1018)年ごろの関寺5丈弥勒仏の造像に際しては近江講師とみえる。その後,道長の『御堂関白記』や行成の『権記』にしばしばその名が認められるが寛仁4年に,道長の命により法成寺無量寿院の九体阿弥陀像を定朝と共に造立したのが最後の記録である。彼の作品中関寺の弥勒像は,東大寺大仏,智識寺の大仏と並ぶ三大仏と称された周尺5丈の大像であり,当時の記念碑的な造像とみなされる。一方,寛弘2(1005)年に道長四十賀を祝って建てられた法性寺五大堂の本尊と伝えられる,東福寺同聚院不動明王坐像は,数少ない遺品と推定され,その正面観に示された穏やかな作風は,次代の定朝様式を準備するものといえる。また分業により大量に,かつ迅速に仏像を制作するため寄木造を創案するが,これも定朝により完成をみることになる。さらに康尚は,造像の功により講師に任じられた最初の仏師であり,これが以後,仏師の社会的地位の向上をもたらすきっかけとなった。<参考文献>谷信一「定朝論の序としての康尚伝―歴世木仏師研究の一節として―」(『美術研究』48号),小林剛「大仏師定朝」(『日本彫刻作家研究』),井上正「東福寺同聚院不動明王坐像」(『国華』848号),毛利久「康尚と定朝」(『日本仏教彫刻史の研究』),田中嗣人「仏師の形成と仏師康尚」(『日本古代仏師の研究』)

(浅井和春)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

こうじょう【康尚】

平安中期の仏師。定朝の父と伝える。生没年不詳。康浄,康昭,康成,康常,広尚とも記される。998年(長徳4)に土佐講師,ついで近江講師に任ぜられているので,僧籍を持つ仏師であることがわかる。比叡山の出身か,同山に深い関係を持つと思われ,恵心僧都源信のもとで造仏を担当し,藤原氏に重用され,道長一族や行成をはじめ皇室の注文も受けて,多くの仏像を造ったことが行成の日記《権記》や道長の《御堂関白記》などの記事によってわかる。

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大辞林 第三版の解説

こうしょう【康尚】

平安中期の仏師。寄木造り法を創始。東福寺同聚院不動明王座像はその作と推定される。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

康尚
こうじょう
(生没年未詳)

10世紀末から11世紀初めにかけて活躍した仏師。康常、康浄などと当て字されることがあるので、読みは「こうじょう」が正しい。仏師定朝(じょうちょう)の師で、父ともいわれる。991年(正暦2)に祇陀林寺(ぎだりんじ)の丈六釈迦如来像(じょうろくしゃかにょらいぞう)の造立(ぞうりゅう)が、文献上最初の事績。以後貴族関係や比叡山(ひえいざん)、高野山(こうやさん)など、数多くの造像に携わり、1020年(寛仁4)、定朝を率いて法成寺(ほうじょうじ)無量寿院(むりょうじゅいん)の九体阿弥陀像をつくったのが、文献から知りうる最後である。東福寺同聚院(どうじゅいん)の不動明王像は藤原道長発願(ほつがん)の法性寺(ほっしょうじ)五大堂(ごだいどう)の旧中尊像で、康尚の唯一の遺品と考えられる。仏像製作の受注体制、およびそこから生ずる仏師の専業体制を確立した。図像を厳密に守る仏像を製作し、あわせて貴族層の美的嗜好にあわせた作風をつくり出した。彫刻における和様化を一段と進め、次代の定朝により大成される和様を準備した意義は大きい。後世の仏師系図では、仏師の租とされる。[伊東史朗]

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世界大百科事典内の康尚の言及

【定朝】より

…日本彫刻史上屈指の名匠といわれる。仏師僧康尚(こうじよう)の子と考えられ,1020年(寛仁4)康尚とともに藤原道長発願の無量寿院(のちの法成寺阿弥陀堂)の9体の丈六阿弥陀像をつくったのをはじめ,宮廷や藤原一門などの造仏に多くたずさわった。22年(治安2)法成寺造仏の功によって,仏師としてはじめて僧綱位の法橋に叙され,48年(永承3)には興福寺造仏の賞として法眼に進んでいる。…

【仏師】より

…記録では叡山の例が多いが,他の寺院でも同様と思われる。職業仏師の祖といわれる定朝の父康尚(こうじよう)も叡山のこうした組織のなかから出てきた人物と思われるが,彼の場合は晩年に邸宅兼工房を持って生活していたらしく,資格としては土佐講師という僧としての肩書も備えている。このころから仏師の工房である仏所が定着するようになるが,その長上たる人物を大仏師といい,その下位にあって大仏師の手足となって働く者を小仏師と呼ぶようになる。…

【平安時代美術】より

…これらは10~11世紀の金工を代表する秀作であり,同じ延暦寺の宝相華蒔絵(ほうそうげまきえ)経箱とともに919年(延喜19)の三十帖冊子のための蒔絵箱(仁和寺)やこれと前後するころの東寺の海賦蒔絵袈裟箱,大阪藤田美術館の仏功徳蒔絵経箱など前世紀の漆芸品のあとをうける貴重な工芸遺品なのである。神道美術
[和様の完成]
 源信が《往生要集》をあらわした985年(寛和1)の数年後,その本拠である横川の霊山院釈迦堂本尊を造った康尚(こうじよう)という仏師がいる。彼はやがて藤原道長や行成に用いられ,〈土佐講師〉という僧職まで与えられるようになる。…

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