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江戸後期の町人学者。大坂の米商人で大名貸(だいみょうがし)を営む升屋(ますや)山片家の別家番頭。町人学塾懐徳堂(かいとくどう)の逸材。無神論者で、蘭学(らんがく)の影響を受けた実学思想家である。寛延(かんえん)元年、農業長谷川十兵衛(はせがわじゅうべえ)の次男として、播磨(はりま)国印南(いなみ)郡神爪(かづめ)村(兵庫県高砂(たかさご)市)に生まれる。名は有躬(ありみ)。蟠桃は号。13歳のとき山片家別家叔父久兵衛の養子となった。商才を発揮して主家再興に努力し、1783年(天明3)仙台藩の依頼を受けて藩財政の再建に成功、主家の親類扱いによって山片芳秀(よしひで)を名のった。専業の間に懐徳堂で中井竹山(なかいちくざん)・履軒(りけん)兄弟から儒学を、先事館で麻田剛立(あさだごうりゅう)に天文暦学を学び、その見識は松平定信(まつだいらさだのぶ)にも知られた。蘭癖(らんぺき)の主人の協力を受けるとともに、歴代堂主の学風である真の知識と実体験による確認、西欧医学・科学の積極的理解の態度を摂取し、自然・人文両界の本質の把握に努めた。その成果を晩年の失明にも屈せず、大著『夢の代(しろ)』全12巻にまとめた。地動説を確信し、『日本書紀』応神(おうじん)紀以前を否定、あらゆる俗信の否認、無鬼(霊魂・鬼神否定論)の強調など、その主張は今日国際的に評価されている。文政(ぶんせい)4年2月28日没。墓は大阪市北区善導(ぜんどう)寺にある。
[末中哲夫 2016年7月19日]
『水田紀久・有坂隆道校注『日本思想大系43 富永仲基・山片蟠桃』(1973・岩波書店)』▽『源了円編『日本の名著23 山片蟠桃・海保青陵』(1984・中央公論社)』▽『末中哲夫著『山片蟠桃の研究 夢之代篇』(1971・清文堂出版)』
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… 徂徠以後,実学思想は一変した。中期になると,山片蟠桃などは天文地理と医術のようなものを実学と考え,海保青陵は学問を経世済民という目的に奉仕すべきもの,今の世に役だつ学問こそ実学とした。本多利明にいたると,蘭学の影響を受け,西洋流の航海術,天文・地理,算数などの海外交易に役だつ学を実学と考えた。…
…日本では1873年(明治6)から太陽暦が採用されたが,一部の人たちにはそれ以前にも太陽暦は知られていた。古くは戦国時代の末ころよりキリシタンの人々に利用されていたが,江戸時代の本多利明は太陽暦の便利さを説いているし,同じころ,中井履軒や山片蟠桃は太陽暦の見本を作っていた。1795年には太陽暦の1月1日に蘭方医大槻玄沢によってオランダ正月が祝われた。…
※「山片蟠桃」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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