大学事典 「中国の大学法制」の解説
中国の大学法制
ちゅうごくのだいがくほうせい
中国の大学法制(中国)に関する法律・法規は,中華人民共和国学位条例(中国)(1980年に全国人民代表大会で制定,1981年より施行,2004年に改正,以下「学位条例(中国)」と略す),中華人民共和国教師法(中国)(1993年制定,1994年より施行,以下「教師法(中国)」と略す),中華人民共和国教育法(中国)(1995年制定,同年より施行,以下「教育法(中国)」と略す),中華人民共和国高等教育法(中国)(1998年制定,1999年より実施,以下「高等教育法(中国)」と略す),中華人民共和国国家通用語言文字法(中国)(2000年制定,2001年より施行,以下「国家通用語言文字法(中国)」と略す),中華人民共和国民弁教育促進法(中国)(2002年制定,2003年より施行,以下「民弁教育促進法(中国)」と略す)などがある。
これらの法律・法規の制定・施行は,中国における大学の基本的法制度の整備の一環として行われてきたものである。1966年から76年にかけての文化大革命(以下「文革」と略す)の10年間は,大学を含めすべての高等教育分野の法制が破壊された時期であった。そのため1976年,文革の終焉後に,大学法制の再建が求められるようになった。法制に基づく大学のシステムを構築するために,これらの法律・法規を公布・施行し始めた。具体的にいえば,「学位条例(中国)」は大学における学士・修士・博士の学位授与に関する授与基準・授与者・学位委員会,授与のプロセスなどを定め,「教師法(中国)」は大学教育を含む各レベルの教員の権利と義務,資格と任用,育成と研修,評価,処遇,奨励,法的な責任などを定めた。「教育法(中国)」は教育基本制度,教育機構,教育関係者,被教育者,教育と社会,教育投入,国際交流と合作,法的な責任など大学を含む教育全般について定めた。また「高等教育法(中国)」(中国高等教育法(中国))は大学を含む高等教育の基本的な制度,高等教育機構の設置,組織と活動,教職員,学生,教育投入とその他の条件に関する保障などを定めた。
さらに「国家通用語言文字法(中国)」は56の民族とその異なる言語を使っている実情に基づいて,大学をはじめとする正式な教育機構では普通話(漢語)と統一された漢字を使用することを定めた。「民弁教育促進法(中国)」は中国における私立大学を含む私学の設置,組織と活動,教員と被教育者,学校の資産と財務管理,管理と監督,助成・委託・奨励,変更と廃止,法的な責任などを定めた。
[大学法制構築の要因と課題]
こうした大学法制のシステムを構築する社会的な要因として次の点が挙げられよう。まず,中央統轄の大学管理体制から大学の自主裁量権の拡大への改革が行われたことを取り上げる。1985年,中央政府は「教育体制の改革に関する決定(中国)」(以下,「決定(中国)」と略す)を,翌年,国務院は「高等教育の管理責任に関する暫定規定(中国)」を制定した。これらの政策によって,大学の管理体制は中央政府のマクロ的な管理・指導から,地方分権化と大学の自主裁量権の拡大へ移行する方針が明示された。その後1992年に,当時の最高指導者であった鄧小平が改革開放路線を押し進めるための「南巡講話(中国)」を発表した。彼の提唱した方針は,社会主義市場経済として,92年秋の中国共産党第14回全国人民代表大会に報告されたのち,翌93年に中華人民共和国憲法(以下,「憲法」と略す)を修正する形で中国の経済政策における基本方針として位置付けられた。市場原理の導入は現在まで続いている。
それを受けて1993年,国務院は「中国教育改革・発展綱要」を新たに公布し,大学が社会のニーズに適応しながら自主的な運営を行う体制を構築する目標を掲げた。これまで大学の設置者は政府であったが,これによって,政府が依然として中心となる一方,社会全体が大学設置に関する体制を形成するようなビジョンが示された。それは1995年,国務院の「高等教育体制改革の深化に関する意見」によって強化され,大学の設置形態と資金調達ルートが政府による単一なものから多様化する意図が裏付けられた。さらに1999年に施行された「高等教育法(中国)」によって,設置認可を受けた大学は法人格が付与され,学生募集,学問の分野・専攻の設置と調整,教育計画,教科書の選定,教育活動の実施,科学研究・技術開発,社会サービスの提供,海外大学との連携・交流,内部機構の設置・人員配置,教職員の職務・給与の水準の決定,財政と資金管理などに関する大学の自主裁量権が明示されるようになった。
もう一つの要因は設置形態の多様化である。公的な管理に支配された大学は,1982年の憲法改正と1985年の「教育体制の改革に関する決定」によって,教育における私的セクター(中国)(民弁(中国))の存在を容認する姿勢を示した。2002年末,大学における私的セクターの存在を認める最初の法律として「民弁教育促進法(中国)」が制定された。2004年4月,「民弁教育促進法の実施条例」が公表され,その後,国務院の「民弁高等教育機関の規範管理の強化,民弁高等教育の健全な発展を導くことに関する通達」(2006年),教育部の「民弁高等教育機関の設置・運営管理に関する若干の規定」(2007年),「独立学院の設置と管理に関する方法」(2008年)などが相次いで制定・実施された。このように,法制度に基づく大学の私的セクターの管理・運営体制が徐々に補完・整備されるようになってきた。
ここ三十余年,文革期間に崩壊された大学の法制に関する整備が行われてきたが,これはグローバル社会の一員として活躍している中国の大学にとって不可欠のことであった。そしてこの法整備のもとで,1999年からは学部生の募集拡大とその後の修士課程の募集拡大が実施された。2008年8月には国務院の「国家中長期教育改革と発展に関する計画綱要(2010~20年)」が制定され,グローバル化社会と知識基盤社会における大学の将来ビジョンが示された。そこでは現代大学制度の改革が今後の重点として新しく明言されており,それに合わせての大学法制の整備が2020年までの重要な課題となっている。
著者: 李尚波
参考文献: 舘昭『転換する大学政策』玉川大学出版部,1995.
参考文献: 馬越徹『アジア・オセアニアの高等教育』玉川大学出版部,2004.
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報