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中川善之助 なかがわ ぜんのすけ

美術人名辞典の解説

中川善之助

民法学者。東京生。民法研究者として多くの業績をあげ、家族法学の発展や戦後の新民法制定に指導的役割を果たした。また社会福祉審議会会長・中央心身障害者対策協議会会長等をつとめた。学習院大教授・金沢大学長。昭和50年(1975)歿、77才。

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百科事典マイペディアの解説

中川善之助【なかがわぜんのすけ】

家族法学者。東京生れ。東京大学独法科卒。1927年東北大学教授となったほか,学習院大学法学部長・金沢大学学長を歴任。独自の家族法理論を樹立し,学会のみならず実務にも影響を与え,第2次大戦後の家族法改正事業では指導的役割を果たした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中川善之助 なかがわ-ぜんのすけ

1897-1975 昭和時代の民法学者。
明治30年11月18日生まれ。昭和2年東北帝大教授となる。師の穂積重遠(ほづみ-しげとお)の身分法学を体系化した。家制度の廃止,女性の地位向上など,戦後の新民法づくりに指導的な役割をはたす。42年金沢大学長。社会福祉審議会会長などをつとめた。昭和50年3月20日死去。77歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「身分法の総則的課題」「日本親族法」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

なかがわぜんのすけ【中川善之助】

1897‐1975(明治30‐昭和50)
家族法学者。東京生れ。東大独法科卒。1927年東北大学教授となり,61年定年退職後,学習院大学法学部長・金沢大学学長を歴任。テンニースなどの影響の下,財産法に対する家族法の特殊性を基調とする独自の家族法理論を樹立し,配偶者と未成熟子に対する生活保持義務とその他の親族に対する生活扶助義務とを区別した扶養法理論など,その後の学説・実務に大きな影響を与えた。第2次大戦後の家族法改正事業において,我妻栄,奥野健一とともに起草者として果たした役割も重要である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中川善之助
なかがわぜんのすけ
(1897―1975)

民法学者。明治30年11月18日東京・神田に生まれる。東京帝国大学法科を卒業後、穂積重遠(ほづみしげとお)の下で身分法を専攻、22年東北帝国大学助教授、1927年(昭和2)同教授となる。農村の慣行調査や南洋諸島の調査など法社会学的研究を取り入れた親族相続法の理論を築いた。第二次世界大戦後の民法改革には臨時法制調査会委員として、家制度の廃止、女性の地位の向上に尽力し、57年(昭和32)憲法調査会委員となったが、改憲消極派に属した。61年東北大学を定年退官後、学習院大学教授、金沢大学学長を務めた。人間味あふれるエッセイストとしても知られる。昭和50年3月20日死去。『身分法の基礎理論』(1939)、『日本親族法』(1942)、『親族法』(1958)、『相続法』(1964)など著書も多い。[長尾龍一]

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世界大百科事典内の中川善之助の言及

【家庭裁判所】より

…アメリカの家庭裁判所運動は家庭事件と少年事件とを関連させて取りあげ,家庭と少年の福祉を守ろうとするものであり,それが制度化され二つの部門をもつ家庭裁判所となったのである。日本の家庭裁判所制度とその運用はアメリカの家庭裁判所制度の影響を強く受けてはいたが,同時に戦前からの日本における制度自体の実質的発展と,学界,実務の世界に大きな影響を与えた中川善之助の〈身分法の非合理性〉という家族法理論の影響を底流として持ちながら進むという両面があった。
[家庭裁判所の理念]
 創設当初当局は家庭裁判所の理念を次のように説明した。…

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