京師(京都)の人。江戸前期の程朱(ていしゅ)学派の儒者。名は之欽(しきん)、字(あざな)は敬甫(けいほ)、通称は七左衛門、のち仲二郎と称した。惕斎はその号。その出自はつまびらかにすることができないが、その学問人格が古義堂の伊藤仁斎(いとうじんさい)と並び称せられたように、商家の人と推定される。商人の間で成長しながら寡欲で財利や功名に無関心で、物価や世俗にも疎く、俗世間との交渉を絶ってもっぱら自学自習に努めた。その学問は程朱学であるが、師承もなく篤実(とくじつ)な道徳を身上とした。『四書示蒙句解(ししょじもうくげ)』27巻はその主著である。博学をもって知られ、天文地理、尺度量衡、音律(いんりつ)、礼等の著作をはじめ、その著書は80部にも及ぶ。京都の朱子学派と同様に、朱熹(しゅき)(朱子)の性理学に忠実であるとともに考証的な研究にも長じた。のち徳島藩の儒官を務めた。篤実な学問と人格において仁斎に匹敵するが、著書とその博学において仁斎を超える。
[今中寛司 2016年6月20日]
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…やがて印刷が始まり,衆に先がけて京都の角倉了以が本阿弥光悦とともに,いわゆる嵯峨本を刊行し(1608),その挿絵は以後の印刷本の見本になった。ヨーロッパでコメニウスが教育的図鑑《世界図絵》(1658)を出版したのにややおくれて,京都の儒者中村惕斎(てきさい)は同様の考えから《人倫訓蒙図彙(きんもうずい)》(1666)を著し,多くの追随者を生んだ。そのころから江戸では出版が盛んになり,やがて赤表紙をつけた子ども相手の5~6枚の中本や小本が現れた。…
※「中村惕斎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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