天正(てんしょう)遣欧使節の一人。肥前(ひぜん)国大村領中浦(長崎県西海(さいかい)市西海町中浦)に生まれ、1580年(天正8)有馬のセミナリオ(小神学校)の第1期生となる。少年使節団の副使に選ばれ、1582年長崎港を出帆し、ローマにて教皇に謁見した。禁教令下の1590年に帰国し、翌1591年天草においてイエズス会へ入会した。1601年(慶長6)マカオの神学院に送られて倫理神学を学び、1608年司祭となった。1614年のキリシタン禁教令のときには日本に残留し、その後20年間潜伏して有馬(ありま)、口之津(くちのつ)(いずれも長崎県)を中心に布教活動を続けた。1632年(寛永9)末小倉(こくら)(福岡県)で捕らえられ、翌1633年10月21日長崎西坂で4日間穴吊(づ)りの刑に処せられ殉教した。そのとき「私はローマへ行った中浦ジュリアン神父である」と叫んだという。
[宮崎賢太郎 2018年3月19日]
『ルイス・フロイス著、岡本良知訳註『九州三侯遣欧使節行記』(1942・東洋堂)』▽『デ・サンデ編、泉井久之助他訳『新異国叢書5 天正遣欧使節記』(1969・雄松堂書店)』▽『結城了悟著『天正少年使節の中浦ジュリアン』(1981・日本二十六聖人記念館)』▽『松田毅一著『天正少年使節』(角川新書)』
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(片岡瑠美子)
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1569/70~1633.9.19
天正遣欧使節の副使の1人。肥前国中浦城主小佐々甚五郎純吉の子。肥前国中浦生れ。有馬セミナリヨに学ぶ。巡察師バリニャーノにより遣欧使節の副使に選ばれ,1582年(天正10)日本を出発。帰国後の91年天草でイエズス会に入会,1608年(慶長13)司祭に叙階。14年の宣教師追放に際して日本に残留したが,32年(寛永9)小倉で捕らえられ,翌年長崎で穴吊しの刑により殉教。
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