久米田池の北西に接する小丘陵にあり、山門の前に池が広がる。山号を竜臥山、院号を
開山以後平安時代にかけての寺史についてはつまびらかでないが、のちに南都興福寺が述べたところによると、久米田寺は草創の初めより興福寺の末寺として数百歳を送り、その別当職は興福寺一乗院家が相伝していたという(応永七年一二月日興福寺学侶衆徒評定書案)。一方、平安時代末期に和泉守であった伊勢平氏の平信兼が久米田寺を領したとする所伝がある(泉州久米多寺隆池院由緒覚)。源平内乱の頃、久米田寺は付近の
中世に流布していた隆池院縁起によると、当寺の四至は「東限角河流春木峰并上津河東峰七層峰」「南限葛木横峰」「西限松村登路并延年峰叉坂之切上」「北限熊野詣大道」とされ、また寺領田合せて五六町三〇〇歩とする文書も作成されたが(隆池院流記資財帳)、鎌倉時代初期に和泉国衙によって認められた当寺領免田は二六町四反一二〇歩であった(文治三年八月日和泉国司庁宣・正治元年九月日和泉国司庁宣)。文暦二年(一二三五)に国衙の田所の在庁官人らが注進した当寺領の「在郷田数」もその本数は同じで、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大阪府岸和田(きしわだ)市池尻(いけじり)町にある高野山(こうやさん)真言宗の寺。龍臥山(りゅうがさん)隆池院(りゅうちいん)と号する。聖武(しょうむ)天皇の勅願により橘諸兄(たちばなのもろえ)を大檀越(だんおつ)として、734年(天平6)行基(ぎょうき)が開創。鎌倉時代には広大な寺域を有し学問の寺として栄えたが、しだいに廃れた。南北朝時代に南朝の保護を受けたが、永禄(えいろく)(1558~70)、天正(てんしょう)年間(1573~92)に兵火にあい堂宇ことごとく焼失した。現在の堂舎の大部分は江戸時代に再興、整備されたものである。さいわい什宝(じゅうほう)の古文書類は残り、久米田文書として歴史学界の貴重な資料とされ、寺宝の星曼荼羅(ほしまんだら)図、仁王会(にんのうえ)曼荼羅図、安東蓮聖像、楠家文書などとともに国の重要文化財に指定されている。境内には山門、金堂(釈迦(しゃか)三尊を祀(まつ)る)、鐘楼、観音(かんのん)堂、聖天(しょうでん)堂、開山堂、大師堂などのほか、塔頭(たっちゅう)子院5か寺があり、府の史跡に指定されている。門前には広大な久米田池があり、また寺の背後には久米田古墳群がある。
[野村全宏]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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