久米田寺(読み)クメダデラ

デジタル大辞泉 「久米田寺」の意味・読み・例文・類語

くめだ‐でら【久米田寺】

大阪府岸和田市にある真言宗の寺。山号は竜臥山。天平10年(738)行基の開創と伝えられ、行基四十九院の一。中世の曼荼羅図二幅、楠家文書・久米田寺文書など多数を所蔵。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「久米田寺」の意味・読み・例文・類語

くめだ‐でら【久米田寺】

  1. 大阪府岸和田市池尻町にある真言宗高野派の寺。山号は龍臥山。天平一〇年(七三八)行基により創建。藤原氏の帰依をうけて繁栄。のち、承久の乱により荒廃し、弘安五年(一二八二)顕尊が中興。本堂、不動堂観音堂開山堂が現存する。南朝関係の古文書を多く所蔵する。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「久米田寺」の解説

久米田寺
くめだじ

[現在地名]岸和田市池尻町

久米田池の北西に接する小丘陵にあり、山門の前に池が広がる。山号を竜臥山、院号を隆池りゆうち院といい、高野山真言宗に属し、金堂に本尊釈迦如来を安置。境内は府指定史跡。奈良時代に行基が建立した四十九院の一つで、行基が開発した久米田池を維持管理するために、天平一〇年(七三八)に建てられた隆池院に始まる。「行基年譜」に「(隆)池院久米多」とあり、天平勝宝元年(七四九)一一月一三日の日付をもつ(成立年代不明)隆池院流記資財帳(久米田寺文書、以下同文書については個別文書名のみを記す)に「隆池院字久米田寺」とみえる。久米多寺とも書いた。

開山以後平安時代にかけての寺史についてはつまびらかでないが、のちに南都興福寺が述べたところによると、久米田寺は草創の初めより興福寺の末寺として数百歳を送り、その別当職は興福寺一乗院家が相伝していたという(応永七年一二月日興福寺学侶衆徒評定書案)。一方、平安時代末期に和泉守であった伊勢平氏の平信兼が久米田寺を領したとする所伝がある(泉州久米多寺隆池院由緒覚)。源平内乱の頃、久米田寺は付近の八木やぎ山直やまだい加守かもり三ヵ郷内に寺領庄園を設立しようとしたが、百姓らはそれに反対して寿永二年(一一八三)一二月、国司に対してその停止を訴えた(宝治二年一二月五日関東下知状)。当時久米田寺は九条家の家司であった源季長の所領であったが、季長はこれを九条家出身の皇嘉門院聖子の持仏堂である九条御堂(証真如院)に寄進し、文治四年(一一八八)久米田寺は九条御堂末寺となり、季長がその預所職を伝領することになった(同年一二月日摂政家政所下文)。元久元年(一二〇四)四月二三日の九条兼実置文(九条家文書)には、証真如院領として「和泉国久米田寺御堂修二月壇供庄」の記載がある。

中世に流布していた隆池院縁起によると、当寺の四至は「東限角河流春木峰并上津河東峰七層峰」「南限葛木横峰」「西限松村登路并延年峰叉坂之切上」「北限熊野詣大道」とされ、また寺領田合せて五六町三〇〇歩とする文書も作成されたが(隆池院流記資財帳)、鎌倉時代初期に和泉国衙によって認められた当寺領免田は二六町四反一二〇歩であった(文治三年八月日和泉国司庁宣・正治元年九月日和泉国司庁宣)。文暦二年(一二三五)に国衙の田所の在庁官人らが注進した当寺領の「在郷田数」もその本数は同じで、軽部かるべ(現和泉市ほか)坂本さかもと(現和泉市)・山直・八木・加守・木島きのしまの諸郷にわたって存在し、それらは承久の乱以前に立てられた免田であることが公認されている(文暦二年二月一五日和泉国在庁官人等勘文・宝治二年一二月五日関東下知状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「久米田寺」の意味・わかりやすい解説

久米田寺
くめだじ

大阪府岸和田(きしわだ)市池尻(いけじり)町にある高野山(こうやさん)真言宗の寺。龍臥山(りゅうがさん)隆池院(りゅうちいん)と号する。聖武(しょうむ)天皇の勅願により橘諸兄(たちばなのもろえ)を大檀越(だんおつ)として、734年(天平6)行基(ぎょうき)が開創。鎌倉時代には広大な寺域を有し学問の寺として栄えたが、しだいに廃れた。南北朝時代に南朝の保護を受けたが、永禄(えいろく)(1558~70)、天正(てんしょう)年間(1573~92)に兵火にあい堂宇ことごとく焼失した。現在の堂舎の大部分は江戸時代に再興、整備されたものである。さいわい什宝(じゅうほう)の古文書類は残り、久米田文書として歴史学界の貴重な資料とされ、寺宝の星曼荼羅(ほしまんだら)図、仁王会(にんのうえ)曼荼羅図、安東蓮聖像、楠家文書などとともに国の重要文化財に指定されている。境内には山門、金堂(釈迦(しゃか)三尊を祀(まつ)る)、鐘楼、観音(かんのん)堂、聖天(しょうでん)堂、開山堂、大師堂などのほか、塔頭(たっちゅう)子院5か寺があり、府の史跡に指定されている。門前には広大な久米田池があり、また寺の背後には久米田古墳群がある。

[野村全宏]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「久米田寺」の意味・わかりやすい解説

久米田寺 (くめたでら)

大阪府岸和田市にある真言宗の寺。臥竜山隆池院と号す。734年(天平6)に行基が開発した久米田池の管理のために建立した道場に由来する。平安から鎌倉にかけてかなり衰微したが,1282年(弘安5)後宇多天皇が行基開創の霊場たることを追慕して,当寺を御願寺に列してより寺運隆盛し,南北朝時代には南朝方の拠点となり,また足利直義は1338年(延元3・暦応1)当寺に利生塔を建てた。なお中世文書を多く所蔵する。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android