日豊本線(読み)ニッポウホンセン

デジタル大辞泉 「日豊本線」の意味・読み・例文・類語

にっぽう‐ほんせん【日豊本線】

九州小倉から大分宮崎を経て鹿児島に至るJR線。全長462.6キロ。

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精選版 日本国語大辞典 「日豊本線」の意味・読み・例文・類語

にっぽう‐ほんせん【日豊本線】

  1. 鹿児島本線小倉駅から九州の東海岸に沿って南下し、別府・大分・宮崎の各駅を経由して鹿児島駅に至るJR幹線。大正一二年(一九二三全通。全長四六二・六キロメートル。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日豊本線」の意味・わかりやすい解説

日豊本線
にっぽうほんせん

九州旅客鉄道の線路名称。小倉(こくら)(福岡県)―大分―鹿児島間462.6キロメートル。複線化率25.9%(2011)。全線交流電化。九州東岸を縦断する幹線鉄道で、北九州市小倉で鹿児島本線より分岐し、中津、大分、宮崎平野都城(みやこのじょう)盆地などを経て、鹿児島に至る。このほかに、日本貨物鉄道が小波瀬(おばせ)西工大前―苅田港(かんだこう)2.8キロメートルを保有。小倉―行橋(ゆくはし)間は1895年(明治28)九州鉄道により、行橋―柳ヶ浦(やなぎがうら)間は1897年豊州(ほうしゅう)鉄道によりそれぞれ開業し、後者は1901年(明治34)九州鉄道に合併されて、1907年に小倉―柳ヶ浦間は国有化された。1909年、線路名称の制定によって豊州本線と称し、1911年までに延長されて大分に達した。一方、鹿児島本線(現在は肥薩(ひさつ)線)吉松(よしまつ)より宮崎に向かう宮崎線の建設が始まり、北方より豊州本線、南方より宮崎線(1917年以降宮崎本線)の名称で1913年(大正2)以降逐次開業して、1923年両線は結ばれ、同時に日豊本線と改称した(ただし、宮崎―佐土原(さどわら)間は宮崎県営鉄道として1913年開業、1917年国有化されて妻(つま)軽便線となり、1920年宮崎本線に編入)。まもなく都城―国分(こくぶ)(現、隼人(はやと))間の短絡線建設が行われて、国都(こくと)東・西線の名称で1929~1932年(昭和4~7)に開通したが、この開業によって、都城―鹿児島間を日豊本線に編入し、在来の都城―吉松間を吉都(きっと)線として分離して現在のルートとなった。1966~1979年(昭和41~54)全線の交流電化を完成させた。1987年、日本国有鉄道の分割民営化に伴い、九州旅客鉄道に所属。

[青木栄一・青木 亮]

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改訂新版 世界大百科事典 「日豊本線」の意味・わかりやすい解説

日豊本線 (にっぽうほんせん)

鹿児島本線小倉駅を起点とし,九州の東側海岸沿いを縦断,鹿児島本線鹿児島駅に至る462.6kmのJR九州の営業線。ほかにJR貨物に属する貨物支線4.6kmがある。おもな経由地は別府,大分,延岡,宮崎の各市である。豊州鉄道会社が建設,1895年4月小倉~行橋(ゆくはし)間,97年9月行橋~柳ヶ浦間がそれぞれ開業した。豊州鉄道は1901年九州鉄道会社と合併,07年には鉄道国有法により国に移管され,小倉~柳ヶ浦間は豊州線となった。11年に大分まで,23年に宮崎まで開通し,すでに開通していた吉松~都城(みやこのじよう)~宮崎間の路線と連絡,小倉~吉松間を日豊本線とした。32年に都城~国分~隼人間が全通したことにより,小倉からこの新ルートを経由して鹿児島駅に至る路線が日豊本線となった。この新路線の全通以前の宮崎~鹿児島間は,現在の吉都線,肥薩線経由で結ばれていた。
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百科事典マイペディア 「日豊本線」の意味・わかりやすい解説

日豊本線【にっぽうほんせん】

西小倉〜大分〜鹿児島間のJR線。営業キロ461.8km。九州東岸を南北に縦貫する鉄道で,北九州・大分・宮崎・鹿児島の諸都市を結ぶ。九州鉄道,豊州鉄道により1897年西小倉〜長洲(現在の柳ヶ浦)間全通。1907年国有化し,さらに路線を延長,宮崎県営鉄道などの一部を編入して1932年全通。1979年全線電化。鹿児島本線と直通運転され,西小倉〜行橋間は北九州市の都市圏輸送を担当。
→関連項目九州旅客鉄道[株]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日豊本線」の意味・わかりやすい解説

日豊本線
にっぽうほんせん

九州の東海岸を走る鉄道。 JR九州。小倉-鹿児島間 462.6km。 1895年に小倉-行橋間が九州鉄道として開通,97年豊州鉄道により柳ヶ浦まで延長。 1907年国有化。 11年柳ヶ浦-大分間,22年大分-宮崎間が開通し,23年に吉松まで全通。 32年都城-隼人 (はやと) 間が開通して小倉-鹿児島間の現在線が日豊本線となった。霧島山北麓を迂回する旧路線は吉都線,肥薩線となった。全線交流電化。 87年4月民営化された。

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