デジタル大辞泉
「亀菊」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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かめぎく【亀菊】
- 鎌倉時代の女官。通称伊賀局。後鳥羽上皇の愛妾。もと白拍子。上皇から摂津国長江、倉橋の両荘を賜わる。この両荘の地頭職の停廃を上皇が幕府に要求して拒否されたことが朝廷と幕府との対立の激化を招き、承久の乱の一因となったといわれる。生没年不詳。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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亀菊【かめぎく】
鎌倉前期の白拍子(しらびょうし)。生没年不詳。伊賀局(いがのつぼね)とよばれ,後鳥羽(ごとば)上皇の寵愛を得ていた。亀菊は摂津の長江(ながえ)荘・倉橋(くらはし)荘(椋橋荘)を与えられていた。1219年,後鳥羽上皇は両荘の地頭職停廃を要求したが,幕府は拒絶,これが承久の乱の一因となったとされる。亀菊は後鳥羽上皇の隠岐(おき)配流に従ったという。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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亀菊 (かめぎく)
鎌倉前期の白拍子,遊女。生没年不詳。後鳥羽上皇の寵愛を得て院中近く召しつかわれ,伊賀局と呼ばれた。白拍子や遊女が多く住む摂津国河尻・江口にほど近い長江荘,倉橋荘を賜っていたが,1219年(承久1),両荘の地頭職改易を上皇に愁訴し,上皇がこれを幕府に命じたが拒絶された。この事件は承久の乱の一つの原因となった。乱後,後鳥羽上皇が隠岐島に配流されるとこれに従ったといわれる。
執筆者:小田 雄三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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亀菊
生年:生没年不詳
鎌倉前期,後鳥羽上皇の寵姫。伊賀局。もと白拍子。寵により後鳥羽上皇から摂津国長江(豊中市)・倉橋両荘領家職を与えられる。承久1(1219)年,上皇は両荘の地頭職停廃を鎌倉幕府に申し入れるが拒絶され,それが承久の乱(1221)の要因のひとつとされる。乱後の上皇の隠岐配流に同行し,延応1(1239)年の上皇の死まで側近くに仕えた。上皇は江口(大阪市東淀川区)・神崎(尼崎市)の遊女を番に組んで廷臣に預け,白拍子を加えての今様,朗詠,舞などの盛宴を好んだという。長江・倉橋荘は神崎にも近く,亀菊を通じた上皇と神崎遊女との政治的関係にも考える余地がある。また上皇には白拍子腹の皇子,皇女が多い。<参考文献>三浦周行『鎌倉時代史』,『週刊朝日百科・日本の歴史』(中世Ⅰ‐3)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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亀菊
かめぎく
生没年不詳。鎌倉前期の後鳥羽上皇の寵妃。白拍子(しらびょうし)であったが,上皇の女房となり伊賀局(いがのつぼね)とよばれた。上皇から摂津国長江・倉橋両荘領家職を与えられた。1219年(承久元)後鳥羽上皇は両荘の地頭職の停止を鎌倉幕府に要求したが拒否された。慈光寺本「承久記」によると,両荘の地頭は北条義時で,「吾妻鏡」はこのことが承久の乱の原因とする。乱後,後鳥羽上皇が隠岐に配流されると,亀菊も隠岐に赴き,上皇の死までその側に仕えた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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亀菊 かめぎく
?-? 鎌倉時代の女官。
もと京都の白拍子。後鳥羽(ごとば)上皇の寵愛(ちょうあい)をうけ,摂津の長江・倉橋両荘をあたえられた。承久(じょうきゅう)元年(1219)上皇をとおして両荘の地頭の解任を執権北条義時に要求したが拒絶され,これが承久の乱の一因となったといわれる。乱後,隠岐(おき)に流された上皇にしたがい,その死までつかえた。通称は伊賀局。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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