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承久記 じょうきゅうき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

承久記
じょうきゅうき

鎌倉時代中期の軍記物語。作者,成立年未詳。2巻が原型らしいが,いろいろの異本がある。承久3 (1221) 年に起った承久の乱の終始を記したもので,の原因を後鳥羽上皇の失政に求め,鎌倉幕府軍の破竹の勢いの進撃,相次いで敗れる上皇方の軍勢の行く末などを描く。最後は,上皇方の首謀者の処分や上皇配流の記事であるが,『平家物語』ほどには無常感が迫ってこない。『保元物語』『平治物語』『平家物語』とともに「四部合戦状」の一つで,語り物として琵琶法師により吟じられた。承久の乱そのものの事実性が軍記物語としての文学性よりまさっているため,作品としての評価は落ちる。

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デジタル大辞泉の解説

じょうきゅうき〔ジヨウキウキ〕【承久記】

鎌倉時代の軍記物語。2巻。作者未詳。鎌倉中期の成立か。承久の乱の経過を記し、論評を加えたもの。「承久兵乱記」「承久軍物語」などの異本がある。

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百科事典マイペディアの解説

承久記【じょうきゅうき】

軍記物語。2巻。作者不詳。異本が多く,《承久軍物語》《承久兵乱記》とも。諸本により成立年代に差があるが,最古態本とされる慈光寺本は鎌倉中期の成立。鎌倉初期の公武の対立が1221年の戦乱へと発展した承久の乱の【てん】末(てんまつ)を,北条義時を中心とする鎌倉幕府寄りの立場から描いたもの。
→関連項目宇治橋椋橋荘

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世界大百科事典 第2版の解説

じょうきゅうき【承久記】

承久の乱の顚末を描いた軍記物。2巻。作者不明。成立年代は一般に鎌倉末期~南北朝初期と推定されている。もっとも現存諸本中の最古態本または祖本,さらには別系統本ともいわれる慈光寺本《承久記》については,乱後,鎌倉中期の成立とする説が有力。内容は,後鳥羽院の事,源実朝の暗殺から始めて,乱の原因,戦闘の経過,乱後の処分を和漢混淆文で詳しく叙述し,論評を加える。古くから保元,平治,平家の各物語とともに〈四部合戦状〉,のちの明徳・応仁両記と併せて〈三代記〉と称せられた。

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大辞林 第三版の解説

じょうきゅうき【承久記】

軍記物語。二巻。作者未詳。鎌倉ないし室町初期の成立か。承久の乱の原因・経過・結末を記す。鎌倉幕府に好意的な立場をとりながら京都側の動静も詳細に記され、史料的価値が比較的高い。異本に「承久兵乱記」「承久軍物語」などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

承久記
じょうきゅうき

承久の乱について記した軍記物。鎌倉中期の成立。作者不詳。『保元(ほうげん)物語』『平治(へいじ)物語』『平家(へいけ)物語』とともに「四部之合戦書」とよばれた。乱に関するもっとも詳細な記述であり、史料的価値も高い。後鳥羽(ごとば)上皇に批判的、北条義時(ほうじょうよしとき)に好意的であるのも本書の特色である。流布本は2巻で、後鳥羽天皇の性向、即位から始めて、承久の乱の原因・経過を記し、乱後、土御門(つちみかど)上皇が土佐に流されるまでを述べている。異本も多く、なかでも慈光寺(じこうじ)本は流布本より古く、しかも仏法(ぶっぽう)・王法(おうぼう)の秩序から起筆するなど、独自の思想がみられる。前田家本は鎌倉後期の成立で、『承久兵乱記』はこの系統に属する。『承久軍(いくさ)物語』も『承久記』の一異本で、江戸前期の成立である。刊本では松林靖明校註(こうちゅう)『承久記』(新撰(しんせん)日本古典文庫)がよい。[上横手雅敬]

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