井上 円了(読み)イノウエ エンリョウ

20世紀日本人名事典 「井上 円了」の解説

井上 円了
イノウエ エンリョウ

明治期の仏教哲学者 東洋大学創設者。



生年
安政5年2月4日(1858年)

没年
大正8(1919)年6月6日

出生地
越後国三島郡浦村慈光寺(新潟県来迎寺村)

別名
幼名=岸丸,号=甫水

学歴〔年〕
東京大学哲学科〔明治18年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔明治29年〕

経歴
明治10年京都・東本願寺本山教校に学び、留学生として東大に入学。17年神田錦町に哲学会を創立。18年27歳で東大を卒業。19年「哲学雑誌」発行に際し編集委員となる。同年「真理金針」、20年「仏教活論序編」を刊行して日本仏教界に警鐘を鳴らした。同年東京・本郷に哲学館を創設、勝海舟らの援助もあって天下学徒を集合。後駒込に移り、30年新校舎を小石川原町に建設、これが36年哲学館大学となり、39年に東洋大学となる。21年杉浦重剛らと政教社を設立、機関紙「日本人」を発行。同年より「哲学館講義録」を発行。27年初めて“東洋哲学”という表現を用いて東洋哲学会を設立、雑誌「東洋哲学」を創刊。31年「破唯物論」を刊行、精力的な執筆活動を続け、仏教と東洋哲学の啓蒙に努めた。また同年京北中学校を興し、38年には京北幼稚園も創立した。36年和田山に哲学堂を建設し四聖をまつった。一方、民間の迷信排除にも努め、妖怪研究会をつくり「妖怪学講義録」(全48巻)を発刊して衆愚啓発お化けを追放した。その後大正8年までの十数年、日本全土、鮮満、中国各地へ講演旅行を続け、半生を社会教育に捧げた。他の主著に「哲学―夕話」(全3編)「心理摘要」「倫理摘要」「日本仏教哲学系統論」「純正哲学」(上下)「哲学新案」、「甫水論集」「井上円了選集」(全11巻)など多数。没後80年となる平成11年「井上円了・妖怪学全集」(全6巻 柏書房)が刊行された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「井上 円了」の解説

井上 円了 (いのうえ えんりょう)

生年月日:1858年2月4日
明治時代の仏教哲学者
1919年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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