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石黒忠悳 いしぐろ ただのり

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美術人名辞典の解説

石黒忠悳

子爵・医学博士・陸軍軍医総監。福島県生。石黒忠篤の父。本姓は平野、初名は忠恕、のち忠徳、号は況斎。軍医制度の基礎を築く。昭和16年(1941)歿、97才。

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デジタル大辞泉の解説

いしぐろ‐ただのり【石黒忠悳】

[1845~1941]医学者。軍医。福島の生まれ。西洋医学の移入、陸軍衛生部の確立などに尽力。日清・日露戦争で活躍し、陸軍軍医総監となった。子爵。枢密顧問官

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石黒忠悳 いしぐろ-ただのり

1845-1941 明治-大正時代の医師,軍人。
弘化(こうか)2年2月11日生まれ。石黒忠篤(ただあつ)の父。幕府医学所にまなび,明治4年兵部省軍医寮にはいる。21年軍医学校長,23年陸軍軍医総監,陸軍省医務局長。35年貴族院議員。大正6年日本赤十字社長。近代軍医制度の確立につとめた。昭和16年4月26日死去。97歳。陸奥(むつ)伊達郡(福島県)出身。本姓は平野。初名は忠恕,のち忠徳。号は況翁(きょうおう)。

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世界大百科事典 第2版の解説

いしぐろただのり【石黒忠悳】

1845‐1941(弘化2‐昭和16)
医学者。日本の陸軍軍医制度の基礎を築いたのをはじめ,近代医学教育,看護婦養成など各方面に功績を残した。福島県生れ,本籍は新潟県。庸太郎,恒太郎ともいい,況斎と号した。1865年(慶応1)医学所に入る。大学東校に勤め,70年(明治3)大学少助教となり,79年東京大学医学部綜理心得となる。陸軍に関係し,1871年兵部省に出仕,佐賀の乱西南戦争に従軍,陸軍軍医監,軍医本部長を経て陸軍軍医総監(中将相当)に進み陸軍省医務局長を兼ね,軍医学校校長に就いたこともある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

石黒忠悳
いしぐろただのり

[生]弘化2(1845).2.11. 岩代,梁川
[没]1941.4.26. 東京
医師,子爵。近代陸軍軍医制度を築いた人。本姓は平野氏。両親を早く失って祖家石黒家を継ぐ。尊王攘夷の士と交わっていたが,20歳で志を医学に転じ,医学所などに学ぶ。明治2 (1869) 年から大学東校に勤めたのち,同4 (71) 年兵部省に転じ,軍医寮に出仕,松本良順のもとで軍医制度の創始に尽力した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

石黒忠悳
いしぐろただのり
(1845―1941)

日本の軍医界の功労者。陸奥国(むつのくに)伊達(だて)郡梁川(やながわ)(現、福島県伊達市)の平野家に生まれ、16歳で祖家石黒家を継いだ。1865年(慶応1)医学所に入り、西洋医学を修めた。明治維新後、大学東校に出仕、1870年(明治3)大学少助教となった。翌1871年、兵部省(ひょうぶしょう)軍医寮に出仕して軍医としての第一歩を踏み出し、1874年佐賀の乱には陸軍一等軍医正として出陣、1877年西南戦争では大阪臨時陸軍病院長を務めた。1888年軍医学校長、1890年陸軍軍医総監となり、陸軍省医務局長に任ぜられた。日清戦争(にっしんせんそう)(1894~1895)では野戦衛生長官として、日露戦争(1904~1905)では大本営付兼陸軍検疫部御用掛として活躍し、傷病兵の救護、戦時衛生の確保に貢献した。明治初期において西洋医学を各方面に移植することに尽力し、陸軍軍医となってからは日本の陸軍衛生部の基礎の確立に功労が大きい。退職後、中央衛生会会長、日本赤十字社社長、貴族院議員、枢密顧問官などを歴任。随筆その他著書もある。[大鳥蘭三郎]

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