デジタル大辞泉
「井深梶之助」の意味・読み・例文・類語
いぶか‐かじのすけ〔ゐぶかかぢのすけ〕【井深梶之助】
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いぶか‐かじのすけ【井深梶之助】
- プロテスタントの教育家。会津の人。明治学院設立と同時に、その副総理となり、のち、第二代総理となる。キリスト教会運動に尽力した。著「新訳聖書神学」「基督言行録」など。安政元~昭和一五年(一八五四‐一九四〇)
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井深梶之助
いぶかかじのすけ
(1854―1940)
プロテスタントの教育家。明治学院教授、同学院総理。東京・麹町(こうじまち)教会牧師。会津藩校日新館学頭の長男として、藩命を受けて洋学を学ぶべく横浜ブラウン塾に入り、入信。受洗して横浜バンドの一人となる。東京一致神学校(明治学院の前身の一つ)、北米ユニオン神学校を卒業。ヘボンの後任として明治学院総理となり、キリスト教主義教育に尽力した。法定学校における宗教教育の停止をねらう文部省訓令に反対し、抗議するなど、ときには教育行政と対立しつつ、キリスト教主義学校における聖書講義、礼拝執行の方針を貫いた。数次にわたり日本基督(キリスト)教大会議長、世界キリスト教大会日本代表などを務めた。
[金井新二 2018年3月19日]
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井深 梶之助
イブカ カジノスケ
明治〜昭和期のキリスト教指導者,教育家 明治学院名誉総理。
- 生年
- 嘉永7年6月10日(1854年)
- 没年
- 昭和15(1940)年6月24日
- 出生地
- 陸奥国会津若松(福島県会津若松市)
- 学歴〔年〕
- 東京一致神学校卒
- 経歴
- 戊辰戦争に参加。明治3年会津藩から派遣され横浜留学、アメリカ人宣教師の私塾に学び、6年キリスト教に入信。11年東京一致神学校卒業後、13年麴町教会の牧師、母校の助教授の後、19年明治学院教授、副総理。23年渡米、ユニオン神学校に学び、24年帰国、明治学院総理となった。大正10年辞任、名誉総理、在職中、文部省の抑圧政策に抗議、キリスト教学校における聖書講義と礼拝を行う権利を回復した。また日本基督教会大会議長に選ばれ、パリ、エディンバラ、チューリヒなどの世界大会に出席した。著書に「天地創造論」「救拯論」「基督言行録」などがある。
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井深梶之助 (いぶかかじのすけ)
生没年:1854-1940(安政1-昭和15)
教育家。会津藩士で,明治維新で敗北した藩の復権を念じ,横浜に学び,横浜バンドの一人となる。日本基督一致神学校を卒業し,そこで教え,アメリカ留学後明治学院総理(1891-1921)となり,その後も神学教授をした。1899年宗教教育禁止の訓令(文部省訓令第12号)をめぐって政府と折衝し,実質的にその自由を獲得した。また,関係ミッションと日本の教会の調停役,日本のキリスト教界の代表者として活躍した。
執筆者:土肥 昭夫
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井深梶之助
いぶかかじのすけ
[生]安政1(1854).6.10. 会津
[没]1940.6.24.
キリスト教界の指導者。藩校日新館に学んだのち,明治3 (1870) 年上京。翌年英語勉学を目的として神奈川修文館に入学。 1873年 S.R.ブラウンより受洗,日本基督公会に属す。東京一致神学校にて神学を学び,80年按手礼を受け正教師。 81年麹町教会牧師。 84年東京一致神学校助教授。 86年明治学院理事,87年同神学部教授。 90年ニューヨーク・ユニオン神学校に学び翌年帰朝後,J.C.ヘボンのあとを受け明治学院第2代総理となり,1921年まで 30年間在職。この間エディンバラ万国宣教大会議長,YMCA同盟委員長,日本基督教会大会議長などを歴任。早くから聖書翻訳の仕事を手がけ,その面での貢献が大きい。『井深梶之助とその時代』 (3巻,1969~71) が刊行されている。
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井深梶之助【いぶかかじのすけ】
プロテスタントの教育家。会津藩校学頭井深宅右衛門の長男。S.R.ブラウンに導かれて入信。東京一致神学校卒。1890年米国留学,翌年母校の後身明治学院(現,明治学院大学)の総理に就任,在職30年に及ぶ。在任中山県有朋内閣の宗教教育抑圧策に抗し,キリスト教教育の自由を実質的に獲得した。
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井深梶之助 いぶか-かじのすけ
1854-1940 明治-昭和時代前期の教育者。
嘉永(かえい)7年6月10日生まれ。陸奥(むつ)会津藩(福島県)藩士の子。明治6年横浜でS.R.ブラウンから受洗。13年東京麹町(こうじまち)教会牧師。19年明治学院の教授,24年第2代総理となる。32年文部省の宗教教育禁止策に抗し,キリスト教教育をつらぬいた。昭和15年6月24日死去。87歳。東京一致神学校(現明治学院大)卒。
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井深 梶之助 (いぶか かじのすけ)
生年月日:1854年6月10日
明治時代-昭和時代のプロテスタント教育家。明治学院総理
1940年没
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