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井深梶之助 いぶかかじのすけ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

井深梶之助
いぶかかじのすけ

[生]安政1(1854).6.10. 会津
[没]1940.6.24.
キリスト教界の指導者。藩校日新館に学んだのち,明治3 (1870) 年上京。翌年英語勉学を目的として神奈川修文館に入学。 1873年 S.R.ブラウンより受洗,日本基督公会に属す。東京一致神学校にて神学を学び,80年按手礼を受け正教師。

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デジタル大辞泉の解説

いぶか‐かじのすけ〔ゐぶかかぢのすけ〕【井深梶之助】

[1854~1940]プロテスタントの教育家。会津の人。ヘボンの後任として明治学院総理となり、キリスト教教育に尽力。

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百科事典マイペディアの解説

井深梶之助【いぶかかじのすけ】

プロテスタントの教育家。会津藩校学頭井深宅右衛門の長男。S.R.ブラウンに導かれて入信。東京一致神学校卒。1890年米国留学,翌年母校の後身明治学院(現,明治学院大学)の総理に就任,在職30年に及ぶ。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

井深梶之助 いぶか-かじのすけ

1854-1940 明治-昭和時代前期の教育者。
嘉永(かえい)7年6月10日生まれ。陸奥(むつ)会津藩(福島県)藩士の子。明治6年横浜でS.R.ブラウンから受洗。13年東京麹町(こうじまち)教会牧師。19年明治学院の教授,24年第2代総理となる。32年文部省宗教教育禁止策に抗し,キリスト教教育をつらぬいた。昭和15年6月24日死去。87歳。東京一致神学校(現明治学院大)卒。

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世界大百科事典 第2版の解説

いぶかかじのすけ【井深梶之助】

1854‐1940(安政1‐昭和15)
教育家。会津藩士で,明治維新で敗北した藩の復権を念じ,横浜に学び,横浜バンドの一人となる。日本基督一致神学校を卒業し,そこで教え,アメリカ留学後明治学院総理(1891‐1921)となり,その後も神学教授をした。1899年宗教教育禁止の訓令(文部省訓令第12号)をめぐって政府と折衝し,実質的にその自由を獲得した。また,関係ミッションと日本の教会の調停役,日本のキリスト教界の代表者として活躍した。【土肥 昭夫】

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大辞林 第三版の解説

いぶかかじのすけ【井深梶之助】

1854~1940) プロテスタント牧師・教育者。会津藩士。 S = R =ブラウンから受洗。明治学院総理として、キリスト教教育に尽力。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

井深梶之助
いぶかかじのすけ
(1854―1940)

プロテスタントの教育家。明治学院教授、同学院総理。東京・麹町(こうじまち)教会牧師。会津藩校日新館学頭の長男として、藩命を受けて洋学を学ぶべく横浜ブラウン塾に入り、入信。受洗して横浜バンドの一人となる。東京一致神学校、北米ユニオン神学校を卒業。ヘボンの後任として明治学院総理となり、キリスト教主義教育に尽力した。法定学校における宗教教育の停止をねらう文部省訓令に反対し、抗議するなど、ときには教育行政と対立しつつ、キリスト教主義学校における聖書講義、礼拝執行の方針を貫いた。数次にわたり日本基督(キリスト)教大会議長、世界キリスト教大会日本代表などを務めた。[金井新二]

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