ドイツの地理学者。ドレスデンに生まれる。ハレ,ボン,ストラスブールなど各大学に学ぶ。1882-84年南米コロンビアを調査,以後再度の南米行(1888-90)のほか,ロシア(1897),北アフリカ(1911),アジア(1913-14)と諸地方を旅行した。アジア研究旅行の際は来日し,日本アルプスを踏査,〈ヘットナー石〉を発見(1913)している。ヘットナー石は長野県の梓川の稲核(いねこき)橋付近にあった花コウ岩塊で,ヘットナーは擦痕からモレーンであると考え(後に山崎直方が命名),日本における氷河論争の発端の一つになった。1894年ライプチヒ大学員外教授,97年チュービンゲン大学に,99年ハイデルベルク大学に移り(-1928),ヘットナー学派を開いた。地理学は地上の現実を空間的配置の観点から把握しようとする〈コロロギー的科学〉であると規定し,〈地誌〉をもって地表空間の大小の単位空間を記述するものとした。1895年《地理学雑誌》を創刊する。彼には多くの旅行記や地誌および地誌学についての著作があり,《地理学--その歴史,本質および方法》(1927)は上記の雑誌とともに,久しく第2次大戦前の世界に指導的影響を与えた。
執筆者:野間 三郎
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ドイツの地理学者。ハイデルベルク大学教授として、地理学の歴史・方法論を研究し、近代地理学の体系化を行い、その確立に大きく貢献した。とくにブラジルやアジアを旅行し、地域の性格を地理的諸事象との関連から明らかにする地誌学こそ、地理学の中核をなすことを主張した。1913年(大正2)来日し、北アルプスの梓(あずさ)川沿岸で氷河の擦痕(さっこん)のある石を発見した。これにより日本の氷期にも低位置まで氷河があったと唱え、日本の氷河論争の端緒を開いたことは有名である。この石をとくにヘットナー石と称した。主著に『比較地誌学』4巻(1932~1935)、『地理学――その本質・方法・歴史について』(1927)、『地誌学の基本問題』(1907~1924)などがある。ユダヤ系のため、晩年はナチスの迫害を受けた。
[市川正巳]
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… その後,地理学はますます専門分化しながら発達するが,地理学の本質と方法,ラントシャフト(景観,景域)や地域,環境など地理学の基本的概念に関する論議も盛んになった。A.ヘットナーはそうした諸説を批判的に整理して,1927年には地理学本質論の古典といわれる《地理学――その本質,方法,歴史》を著して,地理学は諸事象の空間的因果関係を中核とするコロロギーであると論証した。 それから12年後に,R.ハーツホーンは,アメリカ地理学者協会の機関誌に《地理学の本質》という大論稿を発表し,基本的にはヘットナーの見解を追認したが,59年には《地理学の本質に関する展望》によって,その論旨を補足し明解にしたのである。…
※「ヘットナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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