中国,明中期に蘇州で活動した画家。字は実父,号は十洲,江蘇省太倉の人。山水,人物,花鳥に長じ,沈周(しんしゆう),文徴明,唐寅(とういん)とともに明四大家と称される。四大家のうち唯一の職業画家であるが,文徴明らとの交流によって文人的教養も身につけていた。初め周臣に師事してその伝統受容の態度を学び,のちにあまたの古画をみずから臨摹(りんも)して伝統把握を確かなものとし,一家をなした。厳しい修練に支えられた的確な技巧,ことに中間色を多用した婉麗なその色彩処理によって豪奢な絵画世界を築きあげ,明代絵画史の一つの頂点を極めるとともに,文徴明以後カラリストとしての性格をあらわにする呉派文人画の変容に大きな影響を与えた。また仕女画すなわち美人画のジャンルにおいても,その大成者とされる唐の周昉(しゆうぼう)をしのぐと評される画期的な存在であった。代表作に《秋江待渡図》(台北故宮博物院),《雲渓仙館図》(台北故宮博物院),《桃李園金谷園図》(知恩院),《琵琶行図巻》(ネルソン・ギャラリー・アトキンス美術館)などがある。
執筆者:小川 裕充
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生没年不詳。中国、明(みん)代の職業画家。16世紀前半、嘉靖(かせい)ころに活躍した。浙派(せっぱ)と呉派(ごは)の勢力交代期にあって、伝統的画風を研究して独自の絵画世界をつくりだした院派の三大家(他は唐寅(とういん)、周臣(しゅうしん))の一人。字(あざな)は実父(実甫)(じつほ)。号は十洲。江蘇(こうそ)省太倉の下層階級の出身で、呉県(蘇州)に移住した。周臣の弟子となり、古画を研究してその臨模(りんも)などによって獲得した卓抜なる職人的技巧を振るって、人物、鳥獣、山林、楼閣、車馬など多くの画題を描いたが、とくに風俗的な人物、仕女図に名声がある。宋(そう)の李公麟(りこうりん)以来の線描様式を集成した画風で、鮮麗な濃彩と写実的で細密な描写に特色がある。文徴明をはじめ当時の文人たちとも交わり、画(え)も彼らに評価され、またその美人風俗画は風俗人物画の範として影響は清(しん)代にも及んだ。偽物を含め多くの作品が伝わり、日本にあるものでは『桃李園・金谷園双幅』(知恩院)が有名である。
[星山晋也]
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生没年不詳
明代16世紀前半頃の画家。江蘇省太倉の人。周臣(しゅうしん)に学び,周臣,唐寅(とういん)とともに院派の三大家といわれた。技巧家でありながら文人画の筆力を尊重し,人物風俗画に特に優れた。
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