仇英(読み)キュウエイ(その他表記)Qiú Yīng

デジタル大辞泉 「仇英」の意味・読み・例文・類語

きゅう‐えい〔キウ‐〕【仇英】

中国、明の画家太倉江蘇省)の人。あざな実父じっぽ。号は十洲。唐宋の画風を学んで独自の画風をつくった。人物山水にすぐれ、美人画は明代第一とされる。生没年未詳。

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精選版 日本国語大辞典 「仇英」の意味・読み・例文・類語

きゅう‐えいキウ‥【仇英】

  1. 中国明代、一六世紀前半に活躍した画家。字(あざな)実父(じっぽ)。号は十洲。太倉(江蘇)の人。院派三大家の一人。山水画人物画、とくに美人風俗画にすぐれた。作品「秋江待渡図」「雲渓仙館図」など。生没年不詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「仇英」の意味・わかりやすい解説

仇英 (きゅうえい)
Qiú Yīng
生没年:?-1552?

中国,明中期に蘇州で活動した画家。字は実父,号は十洲,江蘇省太倉の人。山水,人物,花鳥に長じ,沈周(しんしゆう),文徴明,唐寅とういん)とともに明四大家と称される。四大家のうち唯一の職業画家であるが,文徴明らとの交流によって文人的教養も身につけていた。初め周臣に師事してその伝統受容の態度を学び,のちにあまたの古画をみずから臨摹(りんも)して伝統把握を確かなものとし,一家をなした。厳しい修練に支えられた的確な技巧,ことに中間色を多用した婉麗なその色彩処理によって豪奢な絵画世界を築きあげ,明代絵画史の一つの頂点を極めるとともに,文徴明以後カラリストとしての性格をあらわにする呉派文人画変容に大きな影響を与えた。また仕女画すなわち美人画のジャンルにおいても,その大成者とされる唐の周昉しゆうぼう)をしのぐと評される画期的な存在であった。代表作に《秋江待渡図》(台北故宮博物院),《雲渓仙館図》(台北故宮博物院),《桃李園金谷園図》(知恩院),《琵琶行図巻》(ネルソン・ギャラリー・アトキンス美術館)などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「仇英」の意味・わかりやすい解説

仇英
きゅうえい

生没年不詳。中国、明(みん)代の職業画家。16世紀前半、嘉靖(かせい)ころに活躍した。浙派(せっぱ)と呉派(ごは)の勢力交代期にあって、伝統的画風を研究して独自の絵画世界をつくりだした院派の三大家(他は唐寅(とういん)、周臣(しゅうしん))の一人。字(あざな)は実父(実甫)(じつほ)。号は十洲。江蘇(こうそ)省太倉の下層階級の出身で、呉県(蘇州)に移住した。周臣の弟子となり、古画を研究してその臨模(りんも)などによって獲得した卓抜なる職人的技巧を振るって、人物、鳥獣、山林、楼閣、車馬など多くの画題を描いたが、とくに風俗的な人物、仕女図に名声がある。宋(そう)の李公麟(りこうりん)以来の線描様式を集成した画風で、鮮麗な濃彩と写実的で細密な描写に特色がある。文徴明をはじめ当時の文人たちとも交わり、画(え)も彼らに評価され、またその美人風俗画は風俗人物画の範として影響は清(しん)代にも及んだ。偽物を含め多くの作品が伝わり、日本にあるものでは『桃李園・金谷園双幅』(知恩院)が有名である。

[星山晋也]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「仇英」の意味・わかりやすい解説

仇英
きゅうえい
Qiu Ying

[生]?
[没]1552頃
中国,明の院派の職業画家。太倉 (江蘇省) の人。蘇州に住み 16世紀前半に活躍,40歳で没した。字は実父,号は十洲。周臣に学び,唐,宋の名跡の臨模により一家をなした。人物,楼閣,山水を描いたが,山水では唐の青緑山水形式を復興し,同時に呉派文人画風の山水画をも描いた。職人らしい細密な筆線と豊富な彩色による宮廷仕女図や美人図を描き,繊細な白描画をも得意とした。知恩院蔵『桃李園図』,『賺蘭亭図 (たんらんていず) 』などが代表作。

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百科事典マイペディア 「仇英」の意味・わかりやすい解説

仇英【きゅうえい】

中国,明代中期の画家。字は実父(じっぽ),号は十洲。江蘇の人。周臣に師事し,師,同門の唐寅とともに院派の三大家となった。古画の模写を通じて習得した正確で細密な描線を駆使して,山水画人物画を描き,特に士女風俗図は後世多く模倣された。作品に《桃李園図》《金谷園図》など。

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旺文社世界史事典 三訂版 「仇英」の解説

仇 英
きゅうえい

生没年不詳
明の中期,16世紀前半に活躍した画家
画工より立身し,宋・元の古画の模写を通じて南宗画と北宗画の画法を合わせ,卓越した画技を身につけた。人物・美女風俗画などを得意とし,明代の第一人者といわれる。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「仇英」の解説

仇英(きゅうえい)
Qiu Ying

生没年不詳

明代16世紀前半頃の画家。江蘇省太倉の人。周臣(しゅうしん)に学び,周臣,唐寅(とういん)とともに院派の三大家といわれた。技巧家でありながら文人画の筆力を尊重し,人物風俗画に特に優れた。

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世界大百科事典(旧版)内の仇英の言及

【周臣】より

…字は舜卿,号は東村,蘇州(江蘇省)の人。仇英,唐寅の師。この師弟3人を併せて,宋代院体画風に連なるという意味で院派と呼ぶ。…

※「仇英」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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