中国,明代中期の文人画家。字は伯虎,のちに子畏と改めた。号は六如居士,桃花庵主など。呉郡(江蘇省呉県)の人。弘治11年(1498)の郷試に解元(首席)となったが,翌年の会試で不正事件に連座して獄に付され,帰郷後は仏教に帰依して六如居士と号する一方,みずから〈江南第一風流才子〉と称し,放縦な生活を送った。蘇州では沈周(しんしゆう),祝允明(しゆくいんめい),文徴明,徐禎卿,張霊などの文人と親しく交わり,大きな影響を受けた。また1514年(正徳9),寧王宸濠(しんごう)に招かれ南昌に赴いたが,翌年帰った。画は職業画家の周臣に学んで,李唐,劉松年,李(成)郭(煕)派を取り入れた北宗風の細筆山水・人物をかき,文徴明などの呉派南宗画と区別し,仇英とともに院派に数えられることもある。しかし早年には沈周に学んだ形跡も認められ,晩年は南北両宗を折衷した独自の画風を打ち立てた。詩文にも秀でて呉中四才子の一人であり,《六如居士全集》がある。代表作《山路松声図》(台北故宮博物院)。
執筆者:曾布川 寛
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中国、明(みん)代中期の文人。画家としても沈周(ちんしゅう)、文徴明(ぶんちょうめい)、仇英(きゅうえい)らとともに明代を代表する。字(あざな)は伯虎(はくこ)。号は六如居士。呉県(江蘇(こうそ)省蘇州(そしゅう))の人。奔放な才気、秀抜な詩風で徐禎卿(じょていけい)、祝允明(しゅくいんめい)、文徴明とともに呉中四才子といわれ、自ら第一風流才子と称したという。才能に恵まれ、1498年(弘治11)に郷試(きょうし)に首席で合格、翌1499年の会試では当然合格するはずのところ、不正事件に巻き込まれて処罰され、前途を打ち砕かれた。その後、才を惜しんで招く者もいたが、仕官せず自由気ままな生活を送り、晩年郷里に桃花庵(あん)を設けて風流韻事をもっぱらとし、書画を売って生活した。画(え)は初め周臣の門に学び、また沈周にも私淑して、李成(りせい)をはじめ宋(そう)の院体画家のほか、元末の四大家に至るまで研究し、北宗画と南宗画を融合した優れた山水画を生み出した。その制作態度、教養からも文人画家であったが、画風は北宗院体派に属し、院派とよばれ、『江山驟雨(しゅうう)図』などの傑作がある。著書には『唐伯虎集』4巻がある。
[星山晋也]
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