中国、北宋(ほくそう)後期の官僚、文人画家。字(あざな)は伯時(はくじ)。舒州(じょしゅう)(安徽(あんき)省舒城)の人。1070年(煕寧3)の進士に合格し、官は地方官から朝奉郎(ちょうほうろう)(正七品)に至ったが、1100年(元符3)痺(しびれ)の病のため退官し、故郷に近い竜眠(りゅうみん)山に隠棲(いんせい)して竜眠居士と号し、作画に専念した。収集した法書・名画を学び、書をよくし、画(え)は顧愷之(こがいし)、陸探微(りくたんび)など晋宋(しんそう)以来の名家の筆法を広く研究して、人物道釈、馬、山水、花鳥、古器物を描き、とくに白画(白描画)の馬で知られる。文人画家として、職業画家の描写形式であった白画を復興して新生面を開いた。真跡『五馬図巻』は惜しくも第二次世界大戦で焼失した。伝承作品は多いが、わが国では禅月様(禅月大師貫休が創始した羅漢画の図様で、怪奇な容貌(ようぼう)と非現実的な衣文(えもん)を特徴とする)と異なる精細な着色羅漢図を李竜眠様とよび、その創始者としていた。
[星山晋也]
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…六朝の書,唐の詩,宋の画と評されるように,中国絵画史のなかで最高の評価を得た宋代の絵画を特徴づける要因として水墨画の手法のめざましい発達,主導的な題材の道釈人物画から山水画への移行,画家と鑑賞者の両者にみられる文人意識の増大という三つの現象を指摘できる。人物画の分野では唐代に頂点に達した大画面形式の道釈人物は北宋前期の職業的な画家たちによって継承されたものの,形式化し衰退していく傾向をみせたが,北宋末の李公麟が文人趣味にあう白描画風の人物画を再興し,この分野に鑑賞絵画としての新生命を吹き込み,南宋期の禅機画盛行の出発点となった。李公麟の絵画は,材料としておもに紙と墨を選ぶもので,従来彩色画中心であった人物画のジャンルにも水墨画の影響があらわれたことを示している。…
…一方,水墨山水画の発展は道釈画の分野にも干渉し,写意を重んずる水墨の粗筆道釈画も禅宗的な環境のなかで多く描かれるようになった。貫休や石恪(せきかく)の芸術がそれであるが,北宋末に至ると李公麟が出て呉道玄流の白描画を復活させ,道釈画に鑑賞画としての変化と表現の豊かさをもたらし,彼の芸術は南宋・元の禅余人物画へと継承される。 道釈画は宋代以降,絵画界の主流とはならなかったが,伏流として底辺で職業的な画工の制作に結びつき,一方,文人たちの鑑賞的な絵画の境域にも一定の地歩をきずき,着色,水墨,白描等の技法をときに応じてとり入れ,相互に影響をし合っていて複雑な展開をみせるが,巨視的には,これを六朝様式の代名詞としての顧愷之様と,唐様式の代名詞としての呉道玄様の交替,かかわり合いとして整理することができる。…
…南唐の最後の王李煜(りいく)のように,その書法〈金錯刀〉をその墨竹(鉄鉤鎖)に応用する例もあり,この白描的な墨竹の存在は道釈人物画中心であった白描画に新しい展開があったことを示している。呉道玄以後の白描画の大家は北宋末の文人李公麟である。呉道玄が寺観の大画面壁画に腕をふるったのに対し,小画面の鑑賞的な作品に徹した李公麟は,観音をはじめとする道釈人物画や馬をよく描いた。…
※「李公麟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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